ダビデの祈り(詩篇86篇)

 ダビデというイスラエルの王様は非常に敬虔な人物でした。
第一列王記15:4には、「ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。」と書かれてあります。彼は、かつて神様の前に大きな罪を犯しました。彼の部下であるウリヤの妻を、自分の欲に従って奪い取るため、策略を立ててウリヤを殺しました。このことは、神様の怒りに触れましたが、ダビデは、預言者によって指摘されると、すぐに悔い改め、主に立ち返ったのです。
 彼の人生は、常に波乱に満ちていました。王に仕えている間は、自分の王に命をねらわれ、自分が王になった時は、自分の息子に命をねらわれました。しかし、そのような中でも、彼は生きている間ずっと神様の御言葉を忠実に守り、神様に頼った王様でした。
 この詩篇86篇は、彼の人生の中で捧げた数多くの祈りの一部です。「主よ。あなたの耳を傾けて、私に答えて下さい。私は、悩み、そして貧しいのです。私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。」
 ダビデ王は、度々弱さを覚えました。自分の弱さ、みにくさ、不信仰を神様に述べることは、神様の御手を動かす秘訣です。
「私は神を恐れるものです。」をリビングバイブルで見ると、こう書かれてあります。「神様の教えを全て守っている者です。」
 ダビデは王様だったので、欲しいものは全て手に入りました。また全ての者が彼に従いました。しかし、彼自身は常に神様の教えに聞き従ってきたのです。
 「ありのまま、そのまま」で神様の前に進み出ることは良いことです。聖書には「彼に信頼するものは失望させられることはない。」と書かれてあります。ダビデは、最後まで望みを失わず、神様を見上げていたのです。神様は、どんな時も失望せず祈る人を愛されます。
その祈りは必ず聞かれるのです。
 聖書の例えには「不正な裁判官」」とう話があります。一人のやもめが正しい裁きを求め、日中夜問わず裁判官の所に行き、裁判をしてくれるよう頼みました。裁判官はうるさくてかなわず、自分の意に反することだったけれでも、その人のために裁判をせずにはおられなくなったのです。
 神様は愛なるお方です。必死で祈り求める人を放っておかれるはずありません。祈ることは、私たちにとって大きな力となります。祈る時に神様の門が開かれます。ですから、私たちはどんな時も祈ることをやめたりしてはいけません。主を仰ぎ見、信頼していきましょう。

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