私たちを恵もうと待っておられる方(イザヤ書30章18節)

「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。
幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」(イザヤ30:18) 

 私たちの主は、私たちを恵もうと待っておられる方です。あなたを裁こうとか、あなたを苦しめようとか、そのような罰を与えるような神様ではありません。あなたを祝福し、あなたを富むものとする、それが神様の御心です。神様の御心の通りに歩むようにと、私たちには神様の御言葉が与えられています。
 私たちの人生は、すべてが順調にいくわけではありません。私たちのビジョンを打ち壊そうとする力が働きます。それは悪魔、霊との戦いです。しかし、私たちの道の光りである御言葉に導かれて歩むなら、そこに神様の祝福があるのです。
 神様は、私たちにビジョンを与え、力を与え、人生を楽しませて下さいます。そしてどのような時も「幸せ」と感じることが出来るようにして下さるのです。
 世の中の「幸せ」とは、富、名誉、地位と言えるでしょう。ですから、それらがなくなると、「幸せ」といえなくなるのです。
 聖書でいう「幸せ」とは、神様の御心を歩む人のことを言います。
「幸いなことよ。悪者の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」(詩篇1:1)
 これは、神様の目から見た「幸いな人」です。神様の基準に私たちが焦点を合わせる時に、私たちに「幸い」が訪れてくるのです。
 この世で生きる限り、誘惑はやって来ます。しかし、神様の御言葉に従う時に、勝利することが出来るのです。主の教えを昼も夜も口ずさむ時、その人は水路の側に植わった木のように、時がくると実がなり、その葉は枯れず、何にをしても栄えるのです。
 また、「幸いな人」は、そむきを赦され、罪をおおわれた人のことを言います。(詩篇32:1)神様によって、「罪が赦された人」は、本当に幸せな人です。赦された者は、神様によって祝福を受けることが出来るからです。
 また「幸いな人」は、主をおのれの神とする人のことを言います。(詩篇33:12)神様はその人を選び、愛して下さっているのです。
神様は、あなたの罪を赦し、洗い聖め、神の子として下さいました。
 神様は、あなたを特別に選び、任命して下さいました。あなたを神様の栄光の器として選んで下さったのです。神様は、私たちにこの世の喜びではなく、聖霊の喜びを与えて下さっています。私たちが神様の御心を歩む限り、私たちは「幸いな人」と呼ばれるのです。

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