主を見上げる時

 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。~」(詩篇121:1~4)
 神様は、目で見ることは出来ません。しかし、「あなたの信じたとおりになるように。」とイエス様が語られたように、信じた人に神様は現れて下さいます。
 このことを、信じる人は幸いです。私たちの人生には「出来ない」「不可能」と思えることが沢山あります。しかし、心から神様に信頼すれば、「出来ない」「不可能」なことも、神様の力によって「出来る」「可能」なことへと変えて下さるのです。
 神様を信じると、様々な壁にぶつかることがあります。この世の中では、当たり前のように、会社の仕事や、学校の行事、人とのお付き合いが日曜日にはいります。そこで、クリスチャンだからと熱心に日曜礼拝を守ると、会社では責められ、家族や友達には理解されないこともあります。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(第二テモテ3:12)
 日曜日に礼拝を守る、ということは他の人には理解出来ません。しかし、人に何を言われたとしても、私たちは人の言葉に捕らわれる必要はありません。何故なら、私たちが聞くべき言葉は、私たちを創造し、私たちの将来を約束して下さっている父なる神様の言葉だからです。聖書を通して、神様が何を言っておれるかに目を留め、従っていくのです。礼拝は、神様と密に交わる時です。
 人は初め、神様との交わりがありました。しかし、アダムとエバの罪により、神様と交わる器官である「霊」が死に、神様との交わりが断たれました。それが今日まで至っています。今のこの世の状態は、神様と人とをつなげるケーブルが遮断されているので、彼らは神様の声を聞くことが出来ず、何のために生き、何のために存在しているか、自分がどこに向っているのか知ることが出来ません。しかし、イエス様は、この切れたケーブルを再びつなぎ合わせるために十字架にかかって人々の罪の罰を背負って下さったのです。ケーブルがつながっていると電気が流れるように、私たちのケーブルも神様とつながると、また再び神様の声を聞き、神様との交わりが復活します。神様との交わりこそが、私たちの霊的な祝福です。神様は、私たちのすべてをご覧になっておられ、私たちの必要をすべて知っておられます。「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。~」(詩篇139:1~4)(創世記21:14~20 ハガルとイシュマエルを見ておられた。)
 私たちの信仰生活、すべてが順調とは限りません。信仰を持っているからこそ、世の中での戦いは激しいです。しかし、すべてのことを訓練として耐え忍ぶ時、そこから信仰が与えられ、成長することが出来ます。私たちは、問題や苦しみがある時こそ、主を見上げます。何故なら、すべての問題の解決は、天地を造られた主から来るからです。神様は、私たちを覚え、守り、用いて下さいます。

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