礼拝とは

高森博介師

テキスト:ヨハネの福音書 4章23-24節

「したくない悪を行っている」ローマ7章16~20節とパウロが語っているように、私たちは悪習慣の奴隷であり、この世の欲に囚われているものでした。しかし、私たちはイエス・キリストに出会い救われたときに、そのようなものから解放され、神様のみことばに従うことのできる自由を得たのです。神様のしもべ(ドゥーロス=奴隷)となったのです。
 サタンは、私たちが神のみ言葉を第一にし、従うことを無駄なことのように思わせますが、神様は、ご自身を第一とすることを喜ばれます。そして、神様のみ言葉、神様の約束を第一にすることが平安をもたらすのです。出エジプトの時、イスラエルの民も荒野を通されましたが、神様は彼らのためにマナを降らせ養われました。しかし、神様の約束を信じず、不平不満をこぼしたイスラエルの民は40年間荒野をさまよった挙句、約束の地を見ることができませんでした。神の約束を信じたヨシュアとカレブと次の世代の者だけがその地を見ることができたのです。
 ユダヤの初代の王様サウルは、神様の言われるとおりに行わず、自分でいけにえを捧げ罪を犯しました。しかし、彼は自分のメンツを守ることにこころ奪われ、神様の前に悔い改めることをしませんでした。神の霊は彼を去りました。一方、ウリヤの妻と姦淫の罪を犯したダビデ王は、預言者ナタンにその罪を指摘されたときに心から悔い改め、罪赦され祝福を受けました。
「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51篇17節)
 サタンは私たちに神の言葉に従わないように色々な誘惑をしてきます。そのような時にも私たちは信仰を持って、へりくだって神様のことばに従うものと聖霊様によってさせていただきましょう。私たちは真の礼拝者として新しく生まれ変わりました。その心は、へりくだって神様に従う心です。

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