いやしと救い 

ルカの福音書 17章11~19節

富高尚師

 エルサレムへと旅を続けられるイエス様が、サマリヤとガリラヤの境を通られた時、十人のツァラアトの人が癒されましたが、この出会いは、偶然の出会いではありませんでした。ヨハネの福音書の4章には、夫を5人も代えたサマリヤの女の人とイエス様の出会いが書かれていますが、この出会いも偶然ではないのです。なぜなら、イエス様は、サマリヤを通っていかなければならなかったと記されているからです。(ヨハネ4:4)同じように、この箇所でも、癒された十人は、イエス様を「出迎えた」(新改訳2017)と記されています。この十人は、皆で揃って、イエス様が近くを通られるのを祈り求めて待っていたのでしょう。イエス様はその祈りに応えて下さったのです。
 ツァラアトとは「重い皮膚病」であり、らい病と同じように当時は不治の病でした。いったん、ツァラアトと判断されると、街の外に出され、社会から隔離されて生活しなければなりませんでした。また、常に死の恐怖におびえながら過ごしていたに違いありません。しかし、イエス様は十人すべてを癒されました。十人それぞれの事情には関係なく、全員を無条件に癒されたのです。「自分を祭司に見せなさい。」という言葉に従ったからです。彼らは全員、行く途中で癒されたのです。
 しかし、癒されたことが分かって、戻ってきてイエス様に感謝したのは、たった一人で、それも外国人(サマリヤ)だけでした。彼は、「大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足元にひれ伏して感謝した。」(ルカ17:15~16)のです。ここに真の礼拝の姿があります。
 十人は癒されたことに気づき、大きな喜びに包まれていました。死んだも同然の生活から、生き生きとした社会生活を取り戻すことができるのですから、その喜びは何にも勝るものであったことでしょう。しかし九人は、その喜びを手にして、「癒し」てくださった方に対する感謝を忘れてしまったのです。彼らは、人生最大の問題である不治の病が癒され、大喜びで家に帰り、社会に復帰し、神殿で礼拝することも赦され、人としての尊厳を取り戻したのです。しかし、生きている限り問題がなくなることはありません。私たちは本当の救いを得なければ、人生の様々な問題や恐れ・不安から解放されることはありません。
 イエス様のところに戻って来なかった九人は、癒しによって自分の身に起こったことを喜んだだけでしたが、戻ってきてイエス様に感謝をささげたサマリヤ人は、癒しと共に救いを得ました。彼は癒されたことを喜ぶと同時に、癒して下さった方を喜び、感謝し、礼拝を捧げたのです。病の癒しは素晴らしいことですが、すべての人はやがて死を迎えるのです。癒しは一時的なものですが、神様からの救いは永遠です。信仰によって病が癒されること以上に、信仰によって救われることが大切なのです。イエス様もそのことを戻ってきたサマリヤ人に宣言されました。「立ち上がっていきなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」(新改訳2017 ルカ17:19)たった一人、イエス様のところに引き返して来て、感謝をささげたサマリヤ人は、癒しと同時に救われて永遠のいのちに入ったのです。

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