神様の宝は小さいもの(申命記7:6~8)

富高美和師

 神様が、約束の地に入ろうとするイスラエルの民に「きよさ」を求めるのは、神様にとってイスラエルの民は「聖なる国民(神のものとされている、の意)」「宝の民(宝のように尊い存在)」だからと言われています。そして、「地の面のすべてのうちから宝であるあなたを選んだ」と言われるのです。何故、すべての国々の民のうちで最も数が少なかったイスラエルの民を「宝の民」として選ばれたのでしょう。それはイスラエルの民を通して、神様の愛がどんなに小さい者にも注がれていることを示すため、少数派の彼らを大きく用いて神様の栄光を現すため、そしてアブラハムとの約束の故でした。
 私たちも、神様の愛と憐れみによってイスラエルに接ぎ木され、神様の恵みによって「宝の民」となりました。(第一ペテロ2:9、10)それは、私たちが優秀だったわけではなく、力があったわけではなく、ただ神様の愛と憐れみをもって選ばれたのです。
 神様は、数の少ない者、小さい者、取るに足りないものを選び、用いて下さる方です。士師記の6章にはギデオンが出てきます。彼はとても弱々しい男性でした。しかし、神様は今にも逃げてしまいそうな彼を選ばれ「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」(士師記6:12)と言われたのです。
 ミデヤン人との戦いの日が来ました。相手はいなごのように多い軍勢で、剣を使う者だけで13万5千人いました。それに対してギデオンの集めた兵士は3万2千人です。でも、主は「あなたにとっていっしょにいる民は多すぎる。」と言われました。神様はあえて数を減らそうとなさいました。それは「民が自分の手で自分を救った」と誇らせないためでした。結局ギデオンの兵士は300人に減りましたが、彼らは主によって圧倒的な勝利をおさめました。
 神様は、小さいものを宝の民として大切になさるお方です。小さくても、神様が磨かれると周りに影響をあたえるほどに輝きます。そして、だれもが主の栄光を仰ぎ見るのです。私たちは時に弱く、小さく感じます。しかし、神様はそのような私たちを聖霊の力によって大きく主のために用います。救われた者だからこそ、イエス様の愛を受けた者だからこそ出来ることがあります。信じましょう。

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