世の罪を取り除く神の小羊 ヨハネの福音書1:29

富高尚師

 福音の真理として知るべき最も大切なことは、当たり前ですが、「イエス・キリスト」について知ることです。福音の本質は、私たちの良い行いのことではありません。また、自分自身の熱心さや努力に関することでもありません。それは、イエス・キリストご自身とその働きを知ることなのです。まさしく、「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(ローマ10:17)福音の真理を知ることは、イエス様がだれで、何をなさったのかを聞くことなのです。
 イエス様は、「世の罪を取り除く」ために来て下さった「神の小羊」です。福音の真理として、まず知らなければならないことは、イエス様は私たちの罪を赦し、その罪を完全に取り除いて下さったという事です。「取り除く」というギリシャ語は、「跡形もなく消し去る、痕跡を残さず消去する、抹消する」という意味の言葉が使われています。福音の言う罪の赦しとは、「私たちの罪を完全に根こそぎ取り除かれた」という事です。ですから、神様は私たちの罪をもう二度と思い出さないと言われるのです。(イザヤ43:25)
 神様が私たちを見て「罪はない」と言われるのに、私たちが「罪がある」と言っていないでしょうか。イエス様が取り除かれたものを、私たちが持ち続けることができるでしょうか。それとも、イエス様の十字架の御業は、不完全なものだったのでしょうか。決してそんなことはありません。イエス様は、十字架上で「完了した。」と宣言されました。私たちの罪を取り除き、もうこれ以上何もすることがないので、「すべては終了した。」と叫ばれ、全人類の罪に対して完全な勝利を宣言されたのです。これが福音です。福音の真理です。私たちは、イエス様が罪を取り除かれたのなら、それを信じるべきです。「神がきよめたものを、あなたがきよくないと言ってはならない。」(使徒10:15)
 また、イエス様は「神の小羊」として来られました。旧約時代、罪の赦しの方法は、動物をいけにえとして捧げ、すべてを焼いて煙にすることでした。罪を犯した人の罪を動物が身代わりとなって贖ったのです。このことは、人の罪の重さと犠牲となる動物の命が同等だったことを意味します。しかし、「神の小羊」として来て下さったイエス様は、全人類の罪の身代わりとして十字架にかかられましたが、よみがえられました。「神の小羊」は、一度捧げたら消えてなくなり、死んで終わる動物のいけにえではなく、よみがえって永遠に続くいけにえとなられたのです。私たちの過去や現在の罪だけでなく、将来の罪に対しても赦しを与え続け、なお余りあるいけにえが「神の小羊」なのです。
「なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。」(へブル10:14)

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。