教会に与えられる祈りの力(使徒の働き12:1~19)

 エルサレムの教会は、激しい迫害の中にありました。ヤコブが殺され、次にペテロが牢に入れられ、教会は窮地に追いやられたのです。種なしパンの祭りの時期だったので、ペテロは死刑を免れましたが、いつ殺されてもおかしくありません。ペテロは厳重な監視のもと、二本の鎖に繋がれて二人の兵士の間に寝かされました。戸口には番兵が監視しており、第一、第二の衛所、そして鉄の門を開かなければ外に出られないのです。
 その時、教会は何をしていたのでしょうか。「5 教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」「12 そこには多くの人々が集まって、祈っていた。」とあるように、教会は集まって祈りを捧げていました。「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:19,20)エルサレムの教会には、主の臨在が満ちていました。そして、神様の御手が動かされたのです。ヘロデがペテロを引き出そうとしていた前夜、牢の中を光が照らし、天使が現れました。(使徒12:7)そしてペテロの鎖を解き、ペテロを連れ出しました。第一、第二の衛所を通り、そして鉄の門が開かれたのです。
 教会の祈りは、鉄の門を開きます。大きな問題、大きな壁、最悪な状況にあっても、私達が御国の鍵を用いて、主の御名によって祈るならば、天の窓が開かれ、天の光が暗闇を砕き、そして開くはずのない鉄の門が開かれます。ペテロは、解放される時、それが現実のものとは思えませんでした。まさしく、現実離れをしていたのです。それは、神様が栄光を受けるためです。弟子たちも、それを受け入れるのに時間がかかりました。それほど、神様は大きな御業をもって私たちの祈りに答えて下さるのです。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。―主のことば―天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8,9)
 今は、教会が一つとなって祈る時です。その祈りは力強いものとなります。
聖霊に満たされ、神の国拡大のために祈る時、神様が御手を動かされ、大きな御業がこの地にもたらされるのです。「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈入れるばかりになっています。」(ヨハネの福音書4:35)私たちは、共に祈り、主の為に前進出来ることを感謝します。

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