「世の光として輝く」ピリピ2章12~18節

永井信義師

1.恵みによって生きる
 天地創造のはじめから、私たちが自分の力で手に入れた物は何一つありません。神様がすべてを備えて、人間をエデンの園において下さったのです。すべては恵みであり、救いも恵みであり、信仰さえも神の賜物なのです。(エペソ2:8・9)恵みに生きるということは聖霊によって生きることです。(ガラテヤ5:25)聖霊の導きに期待して歩む時に、パウロのように「私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」と信仰の境地に立つことが出来るようになるのです。

2.志(願い)が与えられる
 「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ2:13)
私が何をしたいというのではなく、神様が私を通して何をなさりたいかが重要なのです。神様は御心のままに私たちに働いて、志(願い)さえも与えて下さいます。御心とは、具体的に分かり易い3つを上げると、神さまをもっと愛したい・主イエスの弟子を育てたい・世界に神様の愛を伝えたい、ということです。神様は私たちが御心に歩むようにと導いて下さいます。神様を喜びとし、神様を喜ばせたいという願いを持って生きる事が大切です。

3.願いは叶う
「しかし、私は【主】を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。」(ミカ7:7)
神様が志を立てさせ行わせて下さるからこそ、私たちは神様を誇ることが出来ます。

結び:世の光として輝く
従順とは言語の意味では「ノックの音を聞いてドアを開ける」ということです。私たちがみことばによって心の扉をノックされ、扉を開くこと。そして、間違っていた方向に歩んでいたのであれば、悔い改めて方向転換することが必要です。神の子どもとしての歩み、世の光として輝いていくことができるのです(ヨハネ8:12)。聖霊が私たちの内に住んで輝かせて下さるからです。
「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)
私たちは教会の中で輝くのではありません。教会は色々な失敗をしてよい場所であり、学ぶ場所です。私たちは曲がったよこしまな時代の中で、世に対して輝いて行く者でなければなりません。神様は私たちを用いようとされています。私たちを用いないでは事をなさらないのです。恵みの主にすべてをゆだねて、世の光として輝いていきましょう。

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