信仰の父アブラハム ローマ人への手紙 4章16節

富高尚師

 アブラハムは「信仰の父」と呼ばれ、神様から大いに祝福されました。また同時に、アブラハムの信仰に倣う人々も、その祝福が保証されると聖書には書かれています。私たちは、キリストを信じる信仰によって義とされると同時に、アブラハムに約束された契約による祝福を受け継ぐ者とされているのです。
 聖書には、「義人は信仰によって生きる。」(へブル10:38、ローマ1:17.ガラテヤ3:11)とあり、その最も代表的な人物としてアブラハムを取り上げています。私たちも、神の約束を自分のものとするために、アブラハムに倣い、信仰によって生きなければなりません。
 では、「信仰によって生きる!」とは、どのような生き方なのでしょうか?それは、りっぱな行いによって何かを成し遂げることではありません。また、律法を忠実に守り行う事でもありません。なぜなら、アブラハムの時代にはまだ律法は与えられていなかったからです。
 神様はアブラハムと契約を結ばれ、子孫の繁栄と土地の所有、またアブラハムが多くの民族の祝福の元となることを約束されました。はたして、この契約はどのように実現したのでしょう。
 まず、子孫の繁栄ですが、約束の子として彼に与えられたのはイサクただ一人です。他にも子どもが生まれましたが、アブラハムの全財産を受け継いだのはイサクだけです。次に、土地の所有について神様はアブラハムにカナンの全土を与える(17:8)と言われました。しかし、アブラハムが実際に自分の金で買い所有した土地は、サラの墓のマクペラの洞穴だけでした。このことを殉教したステパノは「足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。」(使徒7:5)と言っています。すべての民族の祝福の元となるという三つ目の約束については、アブラハムが生存中には実現していません。なぜなら、異邦人を含めたすべての民族が神様の祝福を受けるのは、イエス様の十字架と復活以降なのです。(ガラテヤ3:14)
 それでも、アブラハムが信仰の父と言われるのは、彼が「神様の約束を疑わなかった」(ローマ4:20)からなのです。私たちは、自分の力で義とされることも、神様の約束を自分のものとすることもできません。自分の力で恵みと神の義を勝ち取ろうとするなら、キリストから離れ、恵みから落ちてしまうのです。(ガラテヤ5:4)「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」(ローマ4:5 新改訳第三版)とあるように、ただ、一方的な神様の恵みを信じて疑わず、その恵みの中に留まり続けることが、「信仰によって生きる」ことなのです。

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