罪・神・救い

高森博介師

 先月のある朝、鏡を見てびっくりしました。こぶとりじいさんのように頬が腫れていたのです。原因が分からなく、病院に行かなければと心配していましたが、祈り、触っていたら次第に小さくなって、神様のいやしのすばらしさを感じました。
 私たちの信じている神様は、気休めの人が造った偶像とは違います。私たちの祈りは祈っている行為自体に満足して終わるものではなく、「 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)とあるように、どんなに小さな祈りであっても答え助けて下さり、共におられる神様に信仰を持ってより頼むことです。そして、その神様を信じて疑わないならば、必ず起こると信じることが信仰なのです。
 湯布院で50年ぶりに九州聖書学院の同窓会が催されました。幻の神学校と言われており、10人くらいの卒業生しかいませんが、その中の7人が集まりました。皆、立派な牧師になっており、引退したものもいましたが、それぞれの証を聞くことが出来ました。一人の牧師が、「やはり、一番教会が伝えていかなければならないものは『罪・神・救い』だ。」と言われたのです。創造の始めに、アダムが神様の命令に背き、罪が人間と神様との間を隔てるものになりました。その時から、神様の交わりが途絶えたために霊が死んだのです。しかし、弟子たちの証言のように、3年間半一緒に生活しても何の罪も見いだすことの出来ない方、イエス・キリストが十字架の身代わりによって、人間の罪を取り除き、そして、よみがえり、助け主(バラクレイトス)なる聖霊を送って下さったのです。聖霊が私たちの内におられるのです。弟子たちは聖霊の力を受けて福音宣教を行い、全世界に福音が伝えられ、世代を超えた日本にいる私たちにも福音が届けられたのです。たくさんの奇跡を見ても、十字架の出来事を前に恐れ逃げていた弟子たちが、聖霊を受けたときに大胆に語ることが出来たのです。私も口べたなものでしたが、聖霊によって変えられ、このようにメッセージを取り次ぐ事が出来ています。すべては聖霊によるのです。

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