福音の正しい理解~復活~

富高美和師

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11:25、26)
 
 イエス様が、このことばを語られたのは、ラザロの死を悲しみ泣いているマルタに対してでした。イエス様は「わたしはよみがえりだ。いのちだ。信じるなら神の栄光を見る。」と言われ、そして「ラザロよ、出て来なさい。」と叫ばれました。すると、死んで四日も経っていたのに、ラザロが生き返ったのです。マルタは驚き、それを見たユダヤ人の多くがイエス様を信じました。(ヨハネの福音書11:1~45)
 イエス様は、ラザロの奇跡を通して「主はいのちを与える方」であることを示されたのです。イエス様の十字架の贖いによってなされたことは、「罪の赦し」「義認」「神様との和解」(ローマ5:1~11)です。そして、復活によってなされたのが「いのちを与える」ことでした。この「いのち」は、天地創造の時、神様が人を形造り、鼻にいのちの息を吹き込まれた(創世記2:7)、その「いのち」です。人は、神様に従い(善悪を知る木)、そしていのちの木の実を食べることによって永遠に生きる祝福が与えられました。しかし、人が神様に従わず罪を犯した時、そのいのちの木から離されてしまいました。(創世記3:22~24)この時、人に対し「今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」と言われたのは天地を創造され、人を造られた三位一体なる神様、イエス様ご自身です。そのことばの責任をイエス様は自らこの地に来られることによって果たそうとされました。イエス様ご自身が「いのち」を携えてこの地にやって来て下さったのです。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14:6)そして、十字架にかかり、死を打ち破って三日目に復活されました。それはイエス様は死に支配されない、いのちを与える方であることの証です。その復活のいのちをもって、イエス様を信じる者に再び永遠のいのちを与えて下さったのです。
 信じて復活のいのちを得た私たちは、干からびた骨に命じることが出来ます。エゼキエルはイスラエルについて幻を見ました。どうしようもない状況の中でも、主が回復して下さるという幻です。(エゼキエル書37:1~14)
 私たちも、どうしようも出来ない状況に置かれる時があります。しかし、私たちの内にはイエス様の復活のいのちが溢れています。いのちが溢れているので、イエス様に触れるものは皆癒されていきました。それはイエス様だけの働きではありません。復活のいのちに預かる私たちもイエス様のように神様の栄光を現すことが出来ます。「息よ。四方から吹いてこい!!」と聖霊様の力を求め、信じて干からびた骨に命じるなら、骨に筋が付き、肉が付き、皮膚が覆い、生きたものとなるのです。あなたを通して神様の栄光が現わされます。

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