神の国の福音 ルカの福音書4章42~44節

富高尚師

 「福音」とは、イエス様の十字架の死と復活であり、罪の身代わりとしてのイエス様の死は、私たちにとって、神の恵みの福音であることは言うまでもありません。しかし、イエス様ご自身やバプテスマのヨハネ、あるいはパウロにしても、宣教の働きの中心は「神の国の福音」を宣べ伝えることでした。今日の聖書箇所でも、イエス様は、はっきりと「その(神の国の福音を宣べ伝える)ために遣わされたのですから。」(ルカ4:43)と言われています。
 またパウロは、自分の死の近いことを悟り、エペソの教会の長老たちを呼び集め、「御国(の福音)を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回」(使徒20:25)し、また、「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。」(使徒20:27)と言っています。
 では、「神の国の福音」とは何でしょう。それは、福音書の中でイエス様が何度も何度も語られた、「天の御国(神の国)」のことです。神様がアブラハムに約束され、契約によってこの地に実現する、メシアが王として支配する王国のことです。この地上において、目に見える形で実現することを聖書は預言しています。
 今日読んだルカの4章には、イエス様が育ったナザレの会堂で、イザヤ書61章を朗読された記事があります。(ルカ4:16~19)そして、「今日、この聖書のことばが実現しました。」(ルカ4:21)と宣言されました。当時、イエス様がおられるところでは、すべての病が癒され、すべての罪が赦されたのです。
 終わりの時、よみがえられたイエス様が、再びこの地上に立たれます。そして、王としてこの地を治められるのです。その統治は完璧で、理想の国家を築かれます。(イザヤ33:22)そこには病もなく、罪も死もないのです。(イザヤ33:24)
 また、神様の悔い改めの呼びかけは、「帰って来るなら贖う」ではありません。「贖った」から「帰れ」なのです。(イザヤ44:21~22)あの有名な放蕩息子の話も、父親は息子が悔い改めて帰る前から彼のことを赦しているのです。帰って来たら赦すのではなく、「もうすでに赦しているから帰って来なさい。」なのです。
 ですから、私たちは、このすばらしい「神の国の福音」をしっかりと、もっと大胆に、恐れずに宣べ伝えましょう。今は、多くの人が病に苦しみ、社会の歪による不平等と差別に悩み、不平や不満があふれています。罪ある者も、不安や恐れのある者も、問題や悩みを抱えている者も、一切の思い煩いから解放されるのは、イエス様が王として治める「神の国」以外にはありません。そこに帰れば、神様ご自身が「義の衣(イエス・キリスト)」を用意して待っていて下さいます。
「神の国の福音」は、私たちにゆるぎない希望を与えてくれるのです。

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