「立派な土台」第一テモテへの手紙6章17~19節

高森基信師

〇みことばによって土台を据える
 イエス様が語られた山上の説教(マタイ5章~7章)の最後に、砂の上に建てた愚かな人と岩の上に建てた賢い人のたとえが説教の結びとして記されています。神のことばを守ることが「岩の上に土台を築く」という大切な事であるととらえることができます。
 この中で、イエス様は律法と預言者を廃棄するためではなく、成就するためにきたと語っています(マタイ5:17)。「律法」と聞くと、パリサイ人や律法学者のイメージがあり、拒否反応を起こすクリスチャンも少なくは無いでしょう。しかし、イエス様が律法は良いものであるとを語っています。ユダヤ人も律法は縛り付けるものではなく、神様からの恵みだと捉えているそうです。確かに、律法は、出エジプトの時にイスラエルが祝福されるように神様が定められたものだからです。
〇自己中心ではなく、神の栄光のため
 興味深いのはマタイ7章12節において「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。」と語られていることです。自分が好きなことを強要するということではありません。神様が与えられている良心の中で、自分にしてもらいたいことを他の人にすることを神様は望んでおられるのです。
自己中心的な思いではなく、他の人を顧みる心を持つことを聖書は求めています。しかし、これだけでは世の中のボランティアや宗教なども同じ事を言っています。私たちの行いは神様の栄光のためでなければなりません。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリント10:31)とパウロも言っているように、彼も努めて神の栄光を現し、人を喜ばせよう(Ⅰコリント10:33)としていたのです。私たちも努力して人に益になることをしていかなければ成りません。
○心から行う
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」(コロサイ3:23)私たちの行いは主に対してするように意識し、表面的なものではなく、心からするように努めていかなければなりません。世の中は自分のためにい生きることを教えますが、聖書は主のために、人のために生きることを教えているのです。

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