御霊に導かれる人

富高美和師

「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」
(ローマ人への手紙8:14)

 私たちは、神様の恵みにより、行いによるのではなく信仰によって救われました。(エペソ2:1~5)そして、「①新しく神の子となった人は神様を愛する。②愛しているので、神様に従い、御言葉に従う。③本当に愛しているので、神様を喜ばせたいと思う。神様が聖であるから自分も聖められることを求めるようになる。」という「神の子」としての歩みをします。しかし、神の子として、神様の喜ばれる歩みをしたいのに、現実では思うようにいかず、自分を責めることはないでしょうか。私たちは、時に「出来てない自分を責める」ことによって落ち込むことがあります。しかし、それは神様の御心ではありません。私たちを責めるのは「肉」だからです。御霊に敵対するものが「肉」です。そしてこの肉の思いは、アダムが神様の命令に逆らい、善悪を知る知識の実を食べた時から私たちの心を支配するようになりました。自分で善悪を判断し、自分中心に生きる、そして神様を必要とせず、自分でどうにかしようとするようになりました。アダムは自分が裸であることを恥じ、いちじくの葉で腰を覆いました。自分でどうにかしようとしたのです。しかし、それは一時的なものでもろく、完全ではありませんでした。神様は彼らに皮の衣を作って着せられました。それは、自分ではどうすることも出来ないということ、神様の助けが必要なのだということを教えるためでした。イエス様は、どうすることも出来ない罪の束縛から十字架の贖いによって、完全に救い出して下さいました。
 神様は、私たちの力ではどうすることも出来ないことが沢山あることをご存知です。私たちがこの地上で「神の子」として歩むことも、自分の力では到底無理なことなのです。ですから、イエス様は「聖霊様」をこの地に送って下さいました。御霊によって歩み、神様の栄光を現す者となるためです。
 私たちには、聖霊様の満たしが常に必要です。(ヨハネの福音書16:13~14)毎日、聖霊様に満たされることを求める時、聖霊の満たしは持続し、そして働きが力強いものとなっていきます。御霊に導かれる人になるために、私たちに必要なことは、いつでも聖霊様を歓迎し、心を開くことです。私たちが信仰を持って聖霊様の声に耳を傾け、全能なる神様に期待するなら、聖霊様はいつでも私たちを強め、励まし、神様に喜ばれる者へと成長させて下さいます。イエス様が故郷に帰られた時、そこには不信仰の雰囲気が漂っていました。油注がれた方が来られたのに、彼らに疑いの心があったので、イエス様は多くの奇跡をなさいませんでした。(マタイの福音書13:53~58)不信仰は聖霊の働きの妨げになります。
一方ゲネサレの地では、イエス様の噂を聞き、熱烈に歓迎しました。信仰に満ちた雰囲気の中で、彼らはイエス様に渇き、期待しました。その結果、イエス様の着物のふさに触れるだけで人々は癒されたのです。
 イエス様を信じ、受け入れた私たちの内には聖霊様が住んでいて下さいます。御霊に導かれる歩みの第一歩は、聖霊様を歓迎し、心を開き、耳を傾けることから始まります。そうするならば、主を愛する思い、従う心、行う力が与えられ、主が共にいることを体験することが出来るのです。私たちは弱いけれども内なる聖霊様は強い方。御霊に導かれる歩みを喜び、感謝しましょう。

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