聖霊のバプテスマ

高森基信

使徒の働き2章1~13節

1. イエス様の命令と約束
 ペンテコステは過越の祭りから数えて、50日目の出来事です。50日ということで、五旬節とも言われています。イエス様は弟子たちに、高き所から力を着せられるまで都にとどまるように命じられました(ルカ24:49)。そして、この助け主なる聖霊はイエス様が弟子たちに約束してくださったことでした(ヨハネ14:16)。イエス様の命令と約束を信じ、彼らは都で待ち続けました。その集まっているところに聖霊が注がれたのです。

2. 教会のはじまり
 この聖霊の働きによって初代教会が始まり、力強い宣教がなされていきました。この時も3千人もの人々が救われたのです。イエス様の命令と約束をまもり、皆が一つところに集まっていたときに主の働きが現されたことを見ると、私たちが一つところに集まり、主の名を呼び求めるときに、神様が教会を通して素晴らしい御業を現して下さると信じることができるのです。

3. 異言
 ペンテコステ派の教会は、異言を伴う聖霊のバプテスマを信じています。「他国のいろいろなことばで話し始めた。」(使徒2:4)とあるように、弟子たちが自国のことばとは異なることばを話し出したからです。言語について、「バベルの塔」(創11:1~9)では、神を恐れない民を、神がその言語を混乱させ、民を散らされたとあります。人は舌を制することはできません(ヤコブ3:8~10)。私たちが聖霊を求めるときに、聖霊の支配の中に私たちを入れて下さり、その口が異言を語るようになるのです。そして、それはすべての人に与えられるもので、人と比べるようなものでなく、求め続けるべきものです。1906年にアメリカで起きたアズサ通りのリバイバルも、単純に聖霊のバプテスマを求めた人々に起こった素晴らしい神の御業です。そして、この出来事は、バベルの塔の時とは逆で、異なる言葉を話すことによって、他の国の人々が、弟子たちの主を賛美するのを聞き、そして、たくさんの人々が福音を信じ、散らされるのではなく、一つとされるのです。

4. 宣教
詩篇126篇1~6節はこの聖霊の働きを預言しているように思えます。聖霊の働きは福音宣教へとつながっていき、聖霊のバプテスマを受けた者たちは喜びとともに刈り取ることができるのではないでしょうか。

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