アバ、父 ローマ人への手紙8章15節

富高尚師

 私たちは神様を「父」と呼んでいます。これは、世の中の人にとってはなかなか理解に苦しむことかもしれません。でも父だからと言って、神様が男性であるということではありません。神様には性別はありません。なぜなら神は霊だからです。また、母親としての神様の特性も聖書には記されています。(イザヤ49:15)
 旧約の中にも、民族の父として神様を呼ぶ箇所がわずかに見られますが、個人の父として神様を呼んだのはイエス様が最初です。ですから、そのためにイエス様は命を狙われ、殺され、十字架にかけられました。ユダヤ人にとっては、神を父を呼び、自分を神の子としたイエス様は、死に当たるとして処刑したのです。(ヨハネ19:7)
 有名なマタイの福音書5~7章の山上の説教の中で、イエス様は神様を父として18回も呼んでいます。しかも、そのほとんどが「あなたがたの天の父」という呼び方です。また、様々な教えを民衆に説いておられるますが、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)と教えられました。何のためにでしょう。それは、私たちが「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」(マタイ5:45)
 イエス様が地上に来られたのは、私たちが「子」としての身分を受けるためであり(ガラテヤ4:4~6)、御霊に導かれ、神のみこころを行う人を神の子どもとして下さるためです。(ローマ8:14)しかし、これらはみな、助け主として送られた御霊なる聖霊様の働きによるのです。御霊により、イエス様を受け入れ、信じた人々には、神の子どもとなる特権が与えられるのです。(ヨハネ1:12)
 御霊は、神を「アバ、父」と呼ぶだけでなく、父と子としての親しい交わりへと導きます。弟子の一人がイエス様に祈りを教えて欲しいと願いました。(ルカ11:1)イエス様の偉大な御業、癒しや奇蹟を目の当たりにした弟子たちが見ていたのは、イエス様がいつも祈っている姿でした。どんなに忙しい時も、肉体的に疲れていたとしても、ひとり寂しいところに行ってイエス様は祈っていました。弟子たちがその祈りを自分たちも知りたいと思ったのは当然のことでした。イエス様の力は、父なる神様との深い交わりの中で与えられるものだったに違いありません。イエス様が十字架にかかられる前日も、ゲッセマネの園でひとり祈っておられました。まさしく、「アバ、父」と叫びながら祈られたのです。私たちも、信仰により、御霊によって「アバ、父」と神様を呼び、大胆に祈るのことができる「神の子」とされているのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。