地上の幕屋での生活

高森基信師

第二コリント人への手紙5章1~15節
①地上での苦しみ
「地上の住まいである幕屋」とは、今の人生です。たとえ、それが壊れることがあったとしても、私たちは人手によらない「永遠の住まい」があることをクリスチャンは覚えていなければなりません。地上の幕屋では二つの苦しみがあると思います。一つは自分の欲望による苦しみです。主イエス・キリストを着るものは、欲望を満たすことに心を用いてはいけません(ロマ13:14)。人と比べ悩み、この世の者に目を留めてしまうからです。そこから来る苦しみは私たちに何の益ももたらしません。しかし、クリスチャンの持つべき苦しみは「天から与えられる住まいを着たいと切望し(5:2)」うめく苦しみです。天からの住まいを着たいという思いと、地上の汚れた世界で神の圧倒的な聖さと愛を知るからです。
②地上の幕屋で何に希望を置くのか?
イエスを死者の中からよみがえらされた方の御霊によって、私たちの死ぬべきからだを生かしていただき(ロマ8:11)、この地上にあっても外なる人は衰えるけれども内なる人が日々新たにされていることに希望を見出し、この世の一時の軽い苦難に目を留めるのではなく、それによって比べものならないほどの重い永遠の栄光(詳訳聖書:あらゆる尺度を超え、いっさいの比較とすべての計算をはるかに超越して、決して尽きることのない大きな、高い栄光と祝福)(Ⅱコリ4:16-17)に目を留めて生きることです。
③どのような使命に生きるか?
 パウロは世を去ってキリストとともにいることを願っていましたが、肉体にとどまることが人々のために必要なことだと、地上の幕屋での生活を選びました(ピリピ1:23-24)。自分自身のためではなく、救われるべき魂、その働きために生きること、神様の望むことをしたのです。そして、自分の身によってキリストがあがめられるようにと願いました(ピリピ1:20)。私たちの使命も次のみ言葉のように、地上での生活を送ることではないでしょうか。
「また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。」 (コロサイ1:10)

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