パラダイス ルカの福音書23章39~43節

富高尚師

 聖書の中で、イエス様ご自身がはっきりと「天国」のことを「パラダイス」と語ったのが今日の聖書箇所です。私たちクリスチャンは死んだ後に必ず天国へ行くと信じていますが、それはどこにあり、どのようなところなのでしょう。
 イエス様は、同じルカの福音書16章で、「金持ちとラザロ」の話として、死後の世界を語っておられます。生前、金持ちは贅沢に暮らしていましたが、死後、炎の中で苦しみ悶えています。一方、その金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思うほどの貧しさの中にあったラザロは、死後、アブラハムのふところに抱かれていました。(ルカ16:19~31)この話は、決してたとえ話としてイエス様が語られたのではなく、実話として私たちに死後の世界があることを教えています。そこはイエス様も十字架で死なれた後、地に下られた「よみ」と呼ばれる場所で、ラザロのいた「アブラハムのふところ」と呼ばれる慰めの場所と金持ちがいた「苦しみの場所」があるのです。この「アブラハムのふところ」をイエス様は「パラダイス」と呼ばれたのです。
 またイエス様は、死を打ち破り、三日目によみがえられました。復活して40日間500人以上の人々に現れ、天に昇られたのです。この時イエス様はよみに下り、そこに囚われていた人々に開放を宣言(Ⅰペテロ3:19)され、多くの捕虜を引き連れて天に上られました。(エペソ4:8)ですから、この時から地の下のよみにあった「アブラハムのふところ」は天に移ったのです。
 このことを、パウロは「第三の天」と呼び、パラダイスに引き上げられたと自分の体験を語っています。(Ⅱコリント12:1~4)
 では、イエス様の隣で十字架につけられた犯罪人は、どうしてこの「パラダイス」に入ることができたのでしょうか。彼の告白は、私たちにも大切なことを教えています。まず彼は「神を畏れ」ました。(40節)そして、自分の罪を認め、十字架は当然の受けるべき罰だと告白しています。(41節)そして、そのような罪の中にある自分を救うことのできる方は、イエス様しかいないとあわれみを乞うたのです。(42節)
 パラダイスに入る方法は、ただこれだけです。頑張って、努力して、人間の力で「パラダイス」入るのではありません。たとえ、どのような人生を送ってきたとしても、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

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