只今、建設工事中(ルカの福音書10:25~28)

富高美和師

「何をしたら永遠のいのちを受け継ぐことが出来るのでしょうか。」と、ある律法の専門家がイエス様を試みようとして尋ねました。これは、はじめから「救われるためには行いが必要だ」と思って質問しているものです。イエス様は心を尽くして主を愛し、隣人を自分のように愛することを行いなさい、と彼に答えます。そして、イエス様の実行しなさいと言われている「愛」がどれだけのものかを、次に話す「良きサマリヤ人」の例えの中であらわして下さっています。
「エルサレムからエリコに下って行く人」、それはおそらくユダヤ人でしょう。その人が強盗に襲われました。そこに祭司、レビ人が通りかかりますが、同邦であるにも関わらず死体に触れると汚れてしまい神殿の奉仕が出来なくなるとう理由で無視していきます。しかし、お互いに絶対に関わりたくない犬猿の仲であるサマリヤ人が、襲われ傷ついている彼を助け、犠牲を払ってまでも命を救おうとしました。これを聞いていて律法の専門家である彼はどうだったでしょうか。「そんなこと絶対に出来ない」と思ったはずです。汚れているサマリヤ人を救うなんて、犠牲を払うなんてそんなこと出来るはずがないと思ったでしょう。しかし、イエス様の愛はどんな人でも受け入れ赦し、愛する測り知れない愛です。イエス様を信じ、イエス様の愛に満たされた時、「こんな人愛せない」という人が愛せるようになっていくから不思議です。27節の「愛しなさい」という言葉は、原文によると「愛するでしょう」と未来形で訳されるべき言葉です。つまり、あなたには出来ないけれども、イエス様によって「あなたは隣人を愛するようになります」と語っているのです。私たちが頑張ってするのではなく、イエス様によってそのようになれるということです。
 私たちは救われたその瞬間、人格や性格が完璧になるわけではありません。この人生の歩みの中で「イエス様のように」変えられ続けていくのです。「~完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13~15)
 私たちはイエス様のようになることを目標として、自分自身を建て上げている最中です。イエス様のために成長しようとする時、またビジョンが与えられ、前進する時、様々な問題やサタンの攻撃にあいますが、恐れることはありません。ネヘミヤは城壁を建て上げるためにエルサレムに戻りましたが様々な妨害にあいました。その時、城壁建設に携わっている彼らはどうしたかというと、片手で仕事をし、片手にはやり投げをもって工事を続けたのです(ネヘミヤ4:11~17)。私たちも片手に御言葉の剣を持ち、そして片手では神様の約束を信じて前進する働きをするのです。(へブル4:12)(エペソ6:17)その城壁が完成した時、周りのものは主を恐れました(6:15,16)。私たちの人生はイエス様を目指して只今工事中です。しかし完成が約束されている、希望ある建設なのです。喜びましょう。

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