天に憧れて生きる

富高美和師

「~しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」(へブル人への手紙11:13~16)
 エノク、ノア、アブラハム。彼らは天の故郷に憧れて生きた人達でした。エノクは憧れすぎて、その歩みが主に喜ばれ、死を見ることなく天に上げられました。
ノアも、アブラハムも、この地上では旅人で寄留者であるとはっきり告白して、天に国籍がある者として人生を送りました。アブラハムが見ていたのは約束の地カナンのはるか向こうにある天の故郷です。彼らの時代には十戒もありませんし、イエス様の十字架の贖いもありません。しかし、何故見ていない天の都を確信し憧れることが出来たのでしょうか。十戒、モーセの幕屋、神殿は、神様に近づく方法として人間に教えられたものです。生贄の捧げ方、礼拝、聖別。出エジプトにはっきり書かれてあるので、私たちは知ることが出来ます。では、ノアの時代、アブラハムの時代はどうだったのでしょうか。どのように理解したのでしょうか。現に、アベルとカインは神様に近づくための捧げものをしました。神様はアベルとその捧げものに目を留められ、カインとその捧げものには目を留められませんでした。何故なら、カインが神様の言われる通りの良い捧げものをしなかったからです。ノアも、アブラハムも生贄を捧げ礼拝しています。彼らはどうやったその方法を知ったのでしょうか。それは、神様が直接彼らに教えていたのです。神様ご自身が彼らにとって戒め、律法でした。それを知る時、天の故郷についても、神様が直接彼らに啓示されていたことが分かります。「天に憧れる」ほどの素晴らしい啓示だったのです。ですから、彼らの人生は様々な戦いがありましたが、天に憧れ、地上では旅人として過ごすことが出来たのです。パウロが第二コリント12:1~4で「その啓示があまりにも素晴らしいために」と語っている通りです。
 聖書に啓示されている天国とはどのようなところでしょう。
それは、①神様の御座があるところ(黙示録4章)②永遠に神様が一緒におられる(黙示録21:1~5)愛と喜び、いのちが溢れ、悲しみ叫び、呪い、夜、恐れがない。いのちの水の川、いのちの木・・・)③無数のみ使いたちの大祝会(へブル人への手紙12:18~24)主を信じた教会時代の人々、旧約時代の人々・・・
 天では、失われた人が、父のもとに帰る度に大祝会が開かれます。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:10)私たちが天に迎え入れられる時、想像をはるかに越える喜びの中に入れられることが分かります。イエス様を信じた者だけが、憧れの天国に入ることが出来ます。神の国がいかに素晴らしく価値があるか、一人でも多くの方に知らせるためにイエス様は来られました。私たちは、イエス様の十字架と復活を語る者でありたいです。(第一コリント2:9)

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