「神の安息の約束」

高森基信師

テキスト:ヘブル人への手紙4章1~12節

①終末の予兆と安息への歩み
 神様の約束の地へとエジプトを出て旅立ったイスラエルの民は、みことばを頂いていたにもかかわらず、「聞いたみことばが益とならなかった」(4:2)のです。みことばが信仰によって結びつけられておらず、神の約束である地(安息)に入ることができなくなりました。旧約聖書での出来事は、永遠のいのちへと向かうクリスチャン生活のひな形でもあります。
 最近は終末におこると聖書に記されている現象が次々と起きています。ルカ21章にある戦争や暴動、国と国の敵対、民族間の争い、地震、飢饉、疫病などなど、25節には「海と波が荒れ人々が不安になる」など、まさに現代に起こっているように思えるのです。そのような中でクリスチャンにとっての安息は、永遠のいのち、天国です。ですから、この地上において、どのように歩むべきなのかを考えなければなりません。

②嘆きなさい。
 ヤコブの手紙4章8~9節においては「神に近づくこと、清められること」に続き「嘆きなさい、悲しみなさい、泣きなさい」と書かれています。「悲しみを喜びに」ということは聖書で見ますが、私自身この箇所だけを見ては「?」となります。ヤコブ4章全体を見ていくとこの世の「欲望」について書かれてあることが分かります。ヤコブは「あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに」という表現でこの世が与える笑いや喜びが欲望によるものなので、過ぎゆく喜びよりも、この世の罪を悲しみ、憂え、清められることを切に願っていくことを語っているようです。私たちの喜びは、主が高く上げて下さることだからです(4:10)。

③みことばに従順に生きる
 みことばは足のともしび、道の光です。(詩119:105)多く世界に影響を与えた有名人も、聖書の価値をこの世の何よりも高くおいています。そして、その聖書がみことばなるイエス様(ヨハネ1:1)を示しているのです。滅びに至るものに望みをおいていては、世の終わりの日に私たちはそのすべてのものを失います。しかし、初めから存在し永遠におられるイエス様に望みを置くならば、私たちは神様の安息の約束を受け取ることができるのです。
「神の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。また私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。(リビングバイブル)」Ⅱテモテ3章16節

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