わたしはすでに世に勝ちました ヨハネの福音書16章33節

富高尚師

 私たちはこの世の中にあって様々な問題に直面し、困難や迫害や憎しみを受ける時があります。今日のみことばは、そのような私たちに対する、イエス様の力強い勝利の宣言であり、とても勇気づけられるおことばです。でも、イエス様が語られた「これらのこと」を見ると、とても「平安」と言えるものではなく不安や悲しみでいっぱいになります。それは、イエス様が「この世を去って、父もとに行きます。」(16:28)とか「あなたがたはそれぞれ散らされ自分のところに帰り、わたし一人を残します。」(16:32)とか語られているからです。しかし、イエス様は「これらのこと」を通して、「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになる」(ヨハネ15:11)ことと、再び「あなたがたのところに戻ってきます。」と約束して下さったのです。そればかりではありません。イエス様がこの世を去る時、父が「真理の御霊」である聖霊様を送って下さるように願われたのです。ですから、今私たちは決して一人ではありません。聖霊様が共にいてくださり、共に戦って下さり、いつも慰め励ましてくださるのです。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)このイエス様の約束は真実です。
 ただ、現実の戦いの中で私たちはどのように戦えば良いのでしょうか。戦いにはすでに勝利されたとイエス様が宣言されているのに、目の前の状況は何一つ変わっていないことをどう喜べばよいのでしょう。
 まず第一に私たちが戦わなければならないのは自分の「思い」との戦いです。サタンの策略はいつも私たちの心に「思い」を入れてきます。今、私たちの心はどのような状態でしょうか。イエス様が宣教を開始された当時の状況を見ると、三通りの人たちがいたように思います。一つは、律法学者やパリサイ人に代表される、「自分たちはすでに救われているので悔い改めることなど何もない。」とその思いが高ぶり傲慢になった人々です。一方、取税人や遊女といった当時は皆から罪人扱いされ、自分たちも「救いを諦めた」人々です。またもう一つはニコデモのように「救いがわからなくなった」人たちもいました。
 しかし、イエス様はこれらのすべての人を救い、一人も滅びることがないようにと心から願っておられたのです。(ヨハネ3:16)そして、宣教を始められた時から、「悔い改めよ。」と叫び続けられました。今、この終わりの世にあって、私たちが気を付けなければならないのは、「悔い改める必要はない。」という思いや、「自分は何の役にも立たないし神様に愛されていない。」という思いです。あなたの今置かれている状況に関係なく、イエス様はあなたを愛しておられます。今のあなたが、どんな心の状態、思いであったとしても「悔い改めて」イエス様の方に向きを変えるなら、そこに「イエス様にある平安」があるのです。勇気を出しましょう。イエス様はすでに世に勝ったのです。

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