「本当に知るべきこと」

高森基信師

第一コリント人への手紙2章1~5節

 アドベント(待望節)第一週です。クリスチャンはメシアであるイエス様がこの地上に来られたこと、キリストのご降誕をお祝いするためにクリスマスがありますが、ユダヤ人は現代においてもメシアを待ち望んでいます。
 「ダビデ契約」というダビデに対する預言が聖書に記されています。第二サムエル記7章11~16節には「主があなたのために一つの家を造る」と、神様がダビデの王国を建てあげ、神殿を造り、王国を永遠に確立してくださる。そのための王様、救世主がおくられるという預言です。それはダビデの子孫からくるということが預言されていたのです。ユダヤ人はそのメシアをダビデ契約から1千年以上も待ち望んでいます。しかし、2000年前、彼らはイエス・キリストを救い主として受け入れることができませんでした。ダビデ王のような、ゴリアテを倒し、サウル王よりも英雄視される素晴らしいリーダー像をメシアに対しても抱いていたからです。ですから、馬小屋で生まれ、ナザレ育ち、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、罪人の友となって食事をするような人をメシアとして受け入れることができなかったのです。しかし、イエス様の歩み、その言葉は神からのもので、すべてが聖書にかかれた預言の成就、「ダビデ契約」でした。
 私たちも、自分の人生が思うようにいかなかったり、信仰生活が自分の思う通りに進まない時に、イエス様を救い主として信じることをやめようと思うことがないでしょうか?この世の色々な知識はとても重要なもののように思えますが、私たちを真理からそらせます。パウロは「十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。」(Ⅰコリント2:2)と言っています。神学的にも知識があり、世の中でも認められる存在であった彼がこのことを捨て去った時に、人間的には「弱く恐れおののいていた」Ⅰコリント(2:3)と語っています。しかし、十字架のイエス・キリスト以外を捨て去った時に「御霊の御力の現れ」(2:4)「人間の知恵によらない神の力」(2:5)を見ることができたのです。
 「救いに至る門は狭い門です。」(マタイ7:13)簡単ではありません。しかし、そこにしか救いはありません。すべてを捨て去るとき、私たちはこの世において弱く恐れるかもしれません。しかし、そこにこそ神様の力と栄光が現れるのです。

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