帰るべき場所

高森基信師

 聖書の有名な話に「放蕩息子」があります。ある金持ちに二人の息子がいて、二番目の息子が若いうちに自分の人生を謳歌したいということで、父親が存命であるにもかかわらず、その財産をもらって旅立ったという話です。当時はそんなことは考えられないことです。この息子の態度は親を必要としない、いや存在を否定する不遜な行為です。財産を受けとった時点で、親が亡くなってから受け取るものなのですから、親が死ぬことを願う行為にも受け取られます。彼はその後、遠い町に行ってしまい、湯水のように財産を使い果たし、食べるのにも困り、当時の仕事の中で忌み嫌われていた豚を飼う仕事に身を落とすのです。それどころか豚の食べているエサで腹を満たしたいと思うほどに誇りも失ってしまいます。
 話は変わりますが、一般的ストレスの定義は①生理的に反応する②嫌いなもの③自分にコントロールできないものだそうです。①、②は対処法として原因を探り、接触しないようにしたり、克服することができるものですが、③の「自分にコントロールできないもの」に関しては他者や過去の出来事に自分の力は及ばないので考え方を変えることだそうです。自分でコントロールしてると思う方向に考えることだそうです。これらは一般的なストレスへの対処法ですが、これから考えると豚飼いをしていた放蕩息子は自分ではコントロールできないどうしようもない究極的なストレス状態にあったのです。この世の中を、見てもそのような状態ではないでしょうか。自分ではどうすることもできない、豚のエサで自分の腹を満たすことを厭わないような最低な状態です。
〇悔い改め、方向転換
 しかし、彼は思い出しました。「父の家には雇人でさえもおなか一杯に食べることができる。」(15:17)イエス・キリストによって救われた者のストレスへの対処法は、この世の中が言っているような、考え方を変えるものではありません。自分が本来どのようなものであったかを、神の愛がどれだけ素晴らしいものであったかを思い出し、イエス・キリストの十字架に神様の素晴らしい愛を見出し、悔い改めて方向転換することです。なぜなら、放蕩息子の家が何不自由のない金持ちの家であったように、私たちは天地創造の初めから、神様がすべてを備え与えてくださっているからです。
〇神様のコントロールの中に生きる
 伝道者の書1~3章を読むときに、人生へどのように心を向けていくかを理解することができます。①全ては空しい(1:2)②すべてに時がある(3:1~11)③労苦を楽しむことも神様の賜物(3:14)。世の営みは、栄華を極め、体験していたソロモン王が言うに、は「すべて空しい」ということです。また、神様がこの人生をコントロールしてくださり、信頼する者に良しとすることをしてくださるし、労苦に楽しみを見出すことも神様の賜物であることです。私たちが神様のみ言葉から学ぶときに私たちのくびきは軽く(マタイ11:28~30)、私たちを愛し、御子をまで与えて下さる方に人生をコントロールしていただくときに、ストレスから解放され、真の幸せを感じることができるのです。

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