「忍耐によって得るもの」

高森基信師

テキスト:ローマ人への手紙2章4~8節、
     ヤコブの手紙1章12節

 キリスト教は忍耐の宗教と言っても過言ではありません。ゆえに現代においては嫌煙される宗教です。忍耐は苦しみを伴うからです。しかし、聖書の教える苦しみは、この世の人生の苦しみとは違います。この世の苦しみは自分の思いが達成できないことへの苦しみだからです。聖書の苦しみは「忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与え、(ロマ2:8)」とあるように、善を行うこと、神の御心を行うことへの苦しみです。罪の中に生活していた人間ですから、清められることも忍耐のいること、キリストの似姿へと変えられるまで忍耐しなければなりません。しかし、忍耐する中で忘れてはならないことがあります。

①神様も忍耐されているということ
 神様は私たちを愛しているがゆえに、忍耐しておられるのです。(ローマ2:4)誰も滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。(Ⅱペテロ3:9)

②忍耐によって得るもの
 私たちは永遠のいのちを勝ち取ることができます。(ルカ21:19)
 カナン人の女は娘のためにイエス様に懇願し(マタイ15:22~28)、忍耐の末にイエス様にその信仰を誉められました。イエス様は彼女が素晴らしい信仰の告白へと導かれるのを待ち望んでいたのです。彼女の叫びは、少しずつ変わりました。「憐れんでください」から「私を助けてください。」へと。自分を救えるのはイエス様以外にないと告白したのです。私たちに大切なものは信仰・希望・愛です。(Ⅱコリ13:13)パウロは別の箇所で大切なこととして「信仰と愛と忍耐において健全であるように」と言っています。(テトス2:2)忍耐が希望を生み出すからです。神の義に立つ試練は有益です。それは私たちに必要なものを得させることができるからです。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

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