神は愛です Ⅰヨハネの手紙 4章7~10節

富高尚師

 私たちの教会の講壇の後ろには、「神は愛です。」と書かれています。これは、ヨハネの手紙第一4章の16節のことばです。神様は愛の性質を持った方とか、愛の象徴的な存在とも言われますが、神様は愛そのものです。そして、その愛はどこに存在しているのかも聖書ははっきりと示しています。愛はどこにあるのか、愛なんて存在しないと、本当の愛を知らない人は言います。しかし、それは神を知らないからです。神は、私たちを愛するがゆえに、私たちの罪のために、宥めの供え物として、御子を遣わされました。私たちがまだ神様を知らず、罪人であったときに、イエス・キリストを与えて、十字架につけてくださったのです。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)神様が目に見えないから存在していないのではありません。愛が見えない、愛が感じられないから愛がないのではありません。空気も目に見えませんが、私たちが生きていることで、そこに空気が存在していることがわかります。神様も私たちが互いに愛し合っている中に、確かに存在しておられるのです。
 では、その愛はどのような愛でしょうか。よく「私は神様に愛される資格がありません。」という人がいますが、神様は、私たちに一切の資格や行いを要求されることはありません。なぜなら、神の愛は「契約による愛」だからです。しかもその契約は無条件に、一方的に神様の側からアブラハム(アブラム)との間で結ばれました。(創世記12:1~3)その契約の具体的な方法も創世記の15章に書かれていますが、神様だけが切り裂かれた動物の間を通られ、全責任を神様が負われたのです。(創世記15:17~18)
 この契約は、アブラハムの子孫に受け継がれていきました。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブから12人の子どもたちによってイスラエルの民が神の民、神の宝の民となったのです。しかし、この契約のもう一つの大きな特徴は、「地のすべての部族は、あなた(アブラハム)によって祝福される。」(創世記15:3)ということです。アブラハム契約はイスラエル民族だけのものではなく、その恵みと祝福、神様の愛は地上のすべての民族へと引き継がれる壮大な契約なのです。それを、新しい契約として実現してくださったのが、二千年前に人として来て下さり、私たちの罪のために十字架で死んでくださったイエス・キリストです。アブラハム以降、血統によって受け継がれてきた契約が、「信仰」によって受け継がれる契約へと更新されたのです。私たちは信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもであり、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。(ガラテヤ3:26~29)
 私たちは、今、信仰によって、神様がアブラハムと結ばれたの契約を受け継ぐ者とされ、信仰によって、その無条件の神の愛を受け継ぐ者とされているのです。

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