教会はキリストのからだ?

富高美和師

「~教会は、キリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ人への手紙1:22、23)
 教会とは、イエス様を信じる者、目的を持って召しだされた者たちの集まりです。イエス様は「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と語られました。イエス様は、教会を目的をもって造られました。もし、私たちが「教会はキリストのからだである」ということがどのようなことかを理解するなら、しっかりとその目的を果たすことが出来るのです。ヨハネの福音書15:5に「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」とあります。幹につながっていなければ、枝は栄養を得ることが出来ず、実を結ぶことが出来ません。頭と体を切り離したら人が死んでしまうのと同じように、私たち教会も頭なるイエス様にしっかりと繋がっていなければ、教会は死んでいるのも同然であり、逆にしっかりと繋がっているならば、血管が頭からつま先まで張り巡らされて、いのちを得ているように、いのちに溢れた教会として多くの実を結ぶことが出来るのです。
 わたしたちのからだが一つであるように、教会も御霊によって一つです(Ⅰコリント12:13)。そして私たちは、それぞれ「からだ」の一部を担っています(Ⅰコリント12:26、27)。一部が機能しなくなれば、からだ全体も苦しみます。しかし、一部が喜び尊ばれる存在であれば、全体が喜ばれるのです。私たちは、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝する、そのような全体に良い影響を与える一部となりたいと願います。からだの器官同士がもめたり、攻撃しあっていたら良い働きをするこは出来ません。私たちはともに励まし合いながらイエス様が来られる日を喜び待ち望んで、頭なるイエス様から発せられる指令を忠実に行っていく者です。イザヤのことば(イザヤ書58:6~11)とパウロのことば(使徒の働き20:34,35)は、正しく神様の御心を知ることの出来ることばです。
 イエス様の御心は、この世にあって貧しく、困窮し、イエス様を知らずに孤独を感じている人々を愛することです(ヨハネの福音書3:16)そして、私たちが、イエス様の御心を実行するために必要なことは、それぞれに与えられた賜物を用いて(ローマ12:4,5)互いに受け入れ合い、助け合い、仕え合うことだということが分かります。骨と骨をつなぐ関節が重要な働きをしているのと同じように、バラバラであるからだの一部をつなぐことの出来るのは「イエス様の愛」です。「キリストにあって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(エペソ4:16)一つとなり、福音を伝えていきましょう。

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