「罪からの救い」

高森博介師

テキスト:ローマ人への手紙 3章23節
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」
 人間は罪を持っているため、この世において不安や人生のむなしさを覚え、変わることのない幸せを得ることができません。田舎に住んでいた私の祖父は、神社やお寺に関わっていたましたが、「死んだらおしまいだから、生きている内に自分に良いことをしてくれ」と親族に言っていました。私たちの周囲にいる人たちは、表向きは宗教を持っているが、目に見えないものは信じることができないのです。しかし、目に見えないものを信じることこそ信仰です。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル 11:6)
信仰を賞賛された人が聖書に出てきます。一人目は「しもべの癒しを求めた百人隊長(マタイ8:5~13)」です。彼はユダヤを支配してるローマの百人隊長でありながら、ユダヤ人であるイエス様のもとに、しもべ(奴隷)の癒しのためにを懇願してきました。そればかりでなく、イエス様の権威のもとにヘリ下り、「屋根の下にお入れする資格がない」とまで言いました。イエス様は彼の信仰と、しもべへの愛にこたえて下さり、しもべを癒し、彼の信仰を賞賛されました。二人目は「長血を患っていた女(マルコ5:25~34)」です。悪い医者から財産を騙し取られ、すべてを失い、イエス様しか最後の希望はありませんでした。当時、この病気は汚れたものとされ、群衆の中には近づくことをしませんでしたが、彼女は人目を気にすることなく、イエス様だけを見て、「衣のふさにさえ触れば癒される」という信仰を持っていったのです。そして、触れた時にその信仰の通りに癒され、イエス様はご自身から力が流れていくのを感じ、彼女の信仰を賞賛されました。三人目は、「悪霊につかれた娘の救いを求めたカナン人の女(マタイ15:21)です。彼女は異邦人(ユダヤ人にとっては救いの計画の中にない人)でしたが、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。」とイエス様に求めました。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません」などと二度もあしらわれましたが、あきらめずに求め続けました。「求めなさい。そうすれば与えられます」のみ言葉の通りに、イエス様は異邦人である彼女の信仰を見て喜ばれ、娘の悪霊を追い出されました。主は異邦人であれ、信仰を持って求める者には答えて下さったのです。
「罪からの救い」もイエス・キリスト以外にはありません。イエス様を救い主と信じるときに罪と死から解放され、私たちが信仰を持って求めるとき、真の平安と幸せを受けることができるのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。