祈りは無駄にならない

富高美和師

「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いて下さる。」(詩篇4:3)
 神様の目には、はっきり区別されているものがあります。それは、「罪赦され救われた人」と「救われていない人」です。神様は、イエス様の十字架の贖いによって救われ、神に従う者を聖徒として特別に扱われ、私たちが祈るならば聞いて下さるという特権を与えて下さっています。しかし、神様の愛に溢れた御目は「救われていない人」にも注がれており、家庭において、職場において、学校において私たちを「福音を伝える者」として遣わして下さっているのです。
先に救われた者には、「神様に祈る」ことが特権として与えられています。イエス様は「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」(ルカの福音書18:1)と前もっておっしゃいました。それは、祈りにおいて喜びを感じる時もあれば労苦を感じる時もあるからなのでしょう。家族の救い、また問題の解決のため祈る時、「いつまで祈ればいいのか。」「この祈りは聞かれているのだろうか。」私たちは、答えが見いだせないことに祈り疲れてしまう時もあるのです。また私たちは、イスラエルの民が荒野を40年さまよったように、水がなくなり(どうしようもない問題)、敵におそわれるような体験(霊的戦い)をします。しかし、その中で神様が教えて下さることは、揺るがされる状況の中にあって、本当に揺るがされないもの(イエス様ご自身、天の御国)は何であるかということです。神様が通される試練は、私たちを成長させ、養育し、そして成熟した者へと導いて下さいます。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)
 「私が呼ぶとき、主は聞いて下さる」とあるように、ダビデはどのような困難な中にあっても、荒野をさまよわなければならないことがあっても、「主は聞いて下さる。」という信仰を持ち続けました。そして、神の時に、主はその祈りに答えて下さいました。
 私たちの祈りは確実に天に届き、主が聞いて下さっています。そして、神様のタイミングで必ず収穫の時が来ます(ヨハネの福音書21:3、6)
私たちが、神様の御心に沿った祈りをしているのであれば、その祈りは決して無駄になることはありません。(イザヤ30:15)(イザヤ30:18,19)
「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた者たちにさばきを行わないでいつまでも放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18:7)

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