神様を喜ばせる信仰

高森博介師

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません~」(へブル11:6)
 「イエスを主」と告白し、救い主としてイエス様を心に迎え入れた者は、神の子としての特権が与えられ、新しくされた者となります。そして、新しくされた者は、思い、考え、価値観、感情もすべて新しくされ、神様の霊によって「いつも喜び」「いつも感謝する」ことが出来るようになります。以前は、外からの情報によって、私たちの思い、考え、価値観、感情が左右されてきました。しかし、イエス様を心の迎え入れた者は、内なる神の霊(聖霊)によって正しい思い、正しい考え、価値観、感情が与えらえ、外の状況に左右されることなく、神様に信頼して歩む人生を送ることが出来ます。神の霊に満たされ、神の御言葉に信頼し、御言葉を実行する人が「信仰の人」と呼ばれます。
 アブラハムが75歳の時、神様は彼に子を与えると約束されました。しかし、なかなか与えられないので、彼は人間的な思いにより、女奴隷ハガルによって子を得ようとしました。結果、ハガルによって生まれた息子イシュマエルの子孫はアラブ人となり、後にイスラエル人を悩ます存在となったのです。その25年後、約束の子イサクが、妻サラによって与えられました。アブラハムはこの経験を通して「信じること」の大切さを教えられました。イサクが大きくなると、神様は次に愛する子イサクをささげるように命じました。もはや以前のアブラハムではなく、信仰によってイサクをささげる決心をしました。もし、イサクが亡くなったとしても、約束の神様は必ずイサクをよみがえらせて下さると信じて。その姿勢を神様は喜ばれ、イサクの代わりに生贄用の雄羊を用意して下さったのです。
 ノアも、堕落した世界の中で主を信じる者でした。神様が裁きのご計画を語り、箱舟を造るように命じられた時、そのことばを信じ、すぐに実行しました。目に見える状況が洪水が起こりそうもない、そんなこと到底信じられないような時でも、ノアは神様のことばに従ったのです。その信仰を神様は喜ばれました。
 ダビデも、主を信じる者でした。その信仰によって巨人ゴリアテを石投げ一つで倒すことが出来ました。それは、だれが見ても勝ち目のない戦いでしたが、人々は、この勝利に神様の栄光を見ました。ダビデは、ペリシテがどのように強い軍隊であっても、イスラエルの神である万軍の主の全能なる力を信じたのです。その信仰が神様に喜ばれました。
 神様は、主を信じる者を決して辱められるお方ではありません。「信仰とは、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:6)この世の終わりの時代、これからどうなるのかと不安になる方もおられます。しかし、神様は信じる者に永遠のいのちを与える方。主の御言葉をしっかりと握りしめ、信仰を持ち続けましょう。

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