「キリストにあって満たされる生活」

高森基信師

テキスト:コロサイ人への手紙2章6~10節
 パウロがこの手紙を書いた訳は、コロサイの教会が偽教師や間違った教えのために、兄弟同士の裁き合いが起き混乱していたからです。その教会に対して「愛のうちに結び合わされ、心に励ましを受け、キリストを知るようになる」ようにと苦闘していると言っています。(コロサイ2:2)この「苦闘」しているという表現は、パウロが、主にある兄弟姉妹に対し、かしらであるキリストに結び合わされることをどれだけ願っているか、兄弟姉妹が愛によって結び合わされること、その中でキリストを知るようになることをどれだけ願っているかを知ることができます。そのためには苦しみ闘うことも厭わないという教会への思いが伺えます。教会生活は楽だとうわけではなく、キリストの体となるために苦しみ闘いながらも、一つになることを選び取る大切さを教えられます。パウロは、私たちが信仰によってキリストを内に住まわせ、愛に根ざし、すべての聖徒たちとともに神のすばらしさを理解し、人知をはるかに超えたキリストの愛を知るように(エペソ3:17~19)とエペソの教会へ手紙を送っています。クリスチャンは「聖徒たちとともに」と言っているように、個々の教会内だけでなく世界中の「聖徒たちとともに」キリストに結び合わされ、キリストの愛を基礎として生きるのです。
 人間の体は外的要因によって、脳内からやる気や信頼するために必要な物質が分泌されます。光を浴びることによって幸せ物質を呼ばれるセロトニン。人とのスキンシップや微笑み合うことによって愛情物質と言われるオキシトシン。私たちの霊の部分においては神の光に照らされることによって力を得ることができますし、私たちはしっかりと結び合わされ、励まし合うことによって、キリストの愛をさらに深く知ることができるのです。
 私たちの励まし合いは、この世の価値観で褒め合うことや、表面的なものを評価することではありません。私たちがキリストにある救いを得ていること、キリストが共に生きて下さっていることを確かめ合い、高め合っていくことなのです(Ⅰテサ5:9~11)。
 私たちは共にキリストにあって満たされた生活を歩む必要があります。この世の空しい哲学や、私たちを捕らわれの身へと陥れるような教えに注意しなければなりません(コロサイ2:8)。私たちはキリストにあって満たされているのですから、すべての支配と権威のある方にしっかりと繋がって、愛し合い、励まし合い、高め合いながら歩んでいきましょう。

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