「まことの平和」(アドベント第二週)

高森基信師

テキスト:イザヤ書9章6・7節
 イザヤは「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」とメシアであるイエス・キリストの誕生を預言しました。「その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」と平和をもたらす王様が来られることを記し、イスラエルに希望を与えました。しかし、700年後に来られたイエス様は、彼らの期待した「平和」をもたらすメシヤではありませんでした。イエス様ご自身がこのように語っています。「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思っていますか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。」(ルカ12:51)この箇所を読むときに私たちは矛盾を感じることでしょう。しかし、イエス様は決して間違っていることを言ったのではありません。むしろ「まことの平和」をもたらすために来たからこそこのように語られたのです。当時のユダヤ人の思っていた平和は「支配国ローマからの解放」、メシヤが王となって敵国を打ち破り、自分たちの平和に暮らせる国を再興してくださるという願いから来たものでした。しかし、イエス様の語られる平和はこの世の与えるものとは違ったのです。(ヨハネ14:27)。それは、神様との平和でした(ロマ5:1)。信仰によって義と認められ、イエス・キリストによってもたらされるものです。

平和をつくる者は幸いです。(マタイ5:9)
 私たちは平和をつくるものとなりたいと願います。それは人間的な、表面的で、遠慮や妥協する平和ではなく、力で勝ち取る平和ではなく、神様のみこころを学び、受け、聞き、実行すること(ピリピ4:9)で得られる平和です。

召されて一つの体になった理由
「キリストの平和が、私たちの心を支配するようになること」(コロサイ3:15)これが、教会に与えられている使命です。神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着ることを選び取り、互いに忍耐し合い、赦し合い、これらすべての上に愛を着けるということです。(コロサイ3:14・15)
 昨年の12月4日にアフガニスタンで反政府軍に襲撃され、亡くなられた中村哲医師。彼はクリスチャンで、アフガニスタンのために働かれました。米国がテロへの報復攻撃をし、力によって平和を得ようとする中、彼はアフガニスタンの人々がテロ行為に走る原因が飢饉や貧しさにあることを知り、支援団体を立ち上げ、医師であるにもかかわらず、重機を操縦し、川から水を引く灌漑事業を30年もの歳月をかけて行ったのです。裏切りや盗難、息子の死などの試練に遭いながらも荒れ地を緑地へと変えたのです。
 神様がわたしたちに与えようとしている平和は私たちが思っているものとは違います。私たちが神様の召しに従って歩むとき、そこに「まことの平和」あるのです。私たちも平和をつくるものとなっていきましょう。

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