喜び、賛美する!(ルカの福音書2:8~18)

富高美和師

「~御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。~』」

 御使いが、まず初めにイエス様のご降誕を知らせたのは、人々からはあまり価値がないとみなされていた職業の羊飼いたちでした。そして語られたのは、「この民全体に与えられる、大きな喜び」だったのです。「民全体」とあるので、どのような職業についていようが、貧しかろうが、関係ない。羊飼いたちにとっても、本当の「喜びの知らせ」でした。そして続けて言われます。「あなたがたのために救い主が生まれた。」と。あなたがたのために、と言われた時はどれほど嬉しかったことでしょうか。
 さて、救い主イエス様がお生まれになったことによって、私たちは何を喜ぶのでしょうか。それを、イエス様が弟子たちに教えておられる場面がルカの福音書10:17~20に書かれてあります。イエス様は御国の福音を伝えるために、弟子たちに神の国の権威を与え遣わされました。喜んで帰って来た弟子たちが、「イエス様の御名で祈る時に、人々の病が癒され、悪霊が逃げていく」と報告すると、イエス様は「そんなことで喜んではならない。むしろ天にあなたがたの名が記されていることを喜びなさい。」と教えて下さいました。私たちが喜ぶべきことは、イエス様を信じるならば、罪が取り除かれ、永遠のいのちが与えれるということ、そして私たちの名が「子羊の書」に書き記されている(黙示録21:27)(ダニエル書12:1,2)ことなのです。御使いは、イエス様のことを「この方はインマヌエルと呼ばれる」と言いました。それは「神が共におられる」という意味ですが、「共におられる」のは、私たちのこの地上の人生だけではなく、この先ずっと、永遠に共にいるという約束なのです。
 私たちが、目に見えるもの(職場、学校、家庭での出来ごとや問題)ではなく、目に見えないもの(神様の約束、ご計画、永遠のいのち)を信じて人生を歩むことはどれほど価値あるものでしょうか。(Ⅱコリント4:18)霊の目が開かれるならば、神様が私たちに勝利を与えて下さるお方であることがはっきりわかります。Ⅱ列王記6:15~17には、エリシャのいのちを狙ってきたアラムの王と軍勢に対し、しもべのゲハジは恐れましたが、エリシャの目には天の御国の軍勢が山に満ちているのが見えていたので、エリシャは勝利の確信がありましたし、神様の栄光を見て、心は喜びと賛美でいっぱいだったのではないでしょうか。神様の栄光の前に、私たちはひれ伏して礼拝するしかないのです。「神様は、あなたはなんてすばらしいお方!私の考えの及ばないことをあなたはされるお方です。」と。
 羊飼いの目の前に、天の軍勢が現れて「いと高きところに栄光が神にあるように~」と賛美をしました。これから成される勝利の御業、神様の栄光がほめたたえられたのです。
 私たちが礼拝する時、天の軍勢が私たちと共に神様を礼拝している姿が見えますか?神の御座があり、賛美されるべき方が確かにおらえることが見えますか?信仰の目をもって見てください。そうするならば、あなたの祈り、礼拝が変わってきます。喜びと賛美が沸き上がってくるからです。

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