聖霊による義と平和と喜び ローマ人への手紙14章17節

富高尚師

 イエス様が私たちに教えてくださった大切な祈りが「御国が来ますように。」(マタイ6:10)という主の祈りです。二千年前にイエス様がこの地上に来られた時、そこには驚くべき奇跡が起こりました。盲人の目が開き、耳の聞こえない者が聞き、死人がよみがえりました。これらはまさしく神の国がこの地に来ていたことの証です。今は、聖霊によって同じことが起こり、義と平和と喜びに満ちあふれるようになるのです。(ローマ14:17)もちろん、それは完全なものではありませんが、約束の前味として、聖霊様によって私たちはみな体験できるのです。新しい年を迎え、まず私たちが今年熱心に祈り求めることは、まず、この教会はもちろん、私たちが遣わされるところが「神の国」となることです。
 私たちはみな、イエス様の十字架の贖いによって義とされた者です。「聖霊による義」とは、神様の目から見た、神の基準で見た「正しさ」です。自分の力や努力でこの神の議を得たものはひとりもいません。ですから、私たちは決して教会において「自分の正しさ」を主張しません。自分の正しさを主張するところに神の国は決して来ることはありません。
 また、「聖霊による平和」もイエス様なしには存在しません。キリストこそ私たちの平和」(エペソ2:14)なのです。人の作り出す平和は、一時的なもので、お互いのバランスによって保たれています。争いや戦争がないからそこが平和なのではありません。その均衡が崩れるとその平和はすぐに消えてなくなるのです。しかし、聖霊によるキリストの平和は、永遠に続く平和であり、決して崩れ去ることはありません。それは、神の国の平和なのです。(エゼキエル37:26)聖霊による平和は、二つのものの間にある「隔ての壁」を完全に打ちこわし、ひとつにする力を持っています。
 最後に、神の国が来るとそこには「聖霊のよる喜び」があります。この喜びを味わうために私たちに必要なことは、信仰の弱い人を受け入れ(ローマ14:1)、兄弟のつまずきとなるものを置かないと決心する(ローマ14:13)ことです。このことを模範として実践されたのがイエス様です。イエス様のもとには、取税人や罪人が大勢来て、弟子たちも一緒に食事をしました。(マタイ9:10)自分を正しいとするパリサイ人には全く理解できませんでしたが、そこには「キリストの愛」があふれ、イエス様ご自身も喜びに満たされた「真実の愛」があり、神の国が存在していました。
 この一年、「御国が来ますように。」と祈り続けましょう。そして、あなたのいるところが「神の国」となり、聖霊による義と平和と喜びを味わい体験しましょう。

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