種まきのたとえ(マタイの福音書13章1~23節)

 この聖書の箇所は、マタイ13章、マルコ4章、ルカ書8章に記されている、同じ種蒔きの話です。しかし、この内容は少しずつ強調点が違い、そこに目をとめていくと、内容がよく理解できます。自分自身の信仰を計るのに大いに役立つ所です。
 畑は、人の心である(マタイ13:19)と言っています。また、種は神の言葉と言っています。(ルカ8:11)蒔かれた道は、人が踏み固めて出来たあぜ道です。つまり、人の言葉や、生活、習慣などで堅くなってしまい、神の言葉が入っていかない頑固な心のことです。彼らは、御国の福音を聞いても受け入れることが出来ません。
 それは、自分自身から出てくるもので、福音には全く関わりを持たず、その人自身の責任であります。
 また、もう一つの理由は、その人の責任ではなく、人の「心に蒔かれたものを 奪っていくものがある」と言っていますが、それは「サタンである」(マルコ4:15)と言っています。神の言葉が耳から入り、そして心に入るのですが、その心に入る前に、サタンがやって来て、奪い取ってしまうのです。ですから、どんなに御言葉を聞いても霊的な成長ができないのです。
サタンが、人間に一番最初に働きかけてきたのは、エデンの園においてでした。彼らの最初の仕事は、神の言葉を無力化する事でした。神の言葉には力があり、信仰を生み出す源ですから、サタンは何とか神の言葉を力のないものにし、神の言葉を信じさせまいと、必死で働きかけるのです。創世記3章1節から、その巧妙なサタンの働きを見ることが出来ます。「神は、本当にいわれたのですか。」(創世記1~5)
 サタンは、曖昧な気持ちで神の言葉を受け止めているエバに、「あなた方は、決して死ぬことはありません。」と断言して、神の言葉に逆らわせ信仰を奪い取ってしまいました。
 人の、耳から神の福音が届きます。サタンは、すぐにやって来て「本当に罪が赦されると思ってるの」「新しく生まれ変わると本当に信じているの。」「キリストが死人の中から本当によみがえると信じられる。」「そんなことあるわけがないよ」と働きかけてくるのです。
 こうして人の心から信仰を奪い取ってしまいます。それが、サタンの目的です。堅い心は、神の恵みを受け入れず、サタンの絶好の餌食となるのです。
 イエス様は、種まきのたとえから「私たちの信仰がどのようなものでなければならないか」「どうして人はつまづくのか」「どうしたら私たちの信仰を確立することが出来るのか」を教えて下さってます。
「力の限り見張って、あなたの心を守れ,命の泉はこれからわく。」(箴言4:23)

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