種まきのたとえ(2)(マタイの福音書13章1~23節)

 先週は「道端に落ちた種」のお話をしました。マタイ、マルコ、ルカの共感福音書を見る時、畑は「人の心」、種は「神のことば」、また人は「牧師、伝道者、クリスチャン」、とりは「サタン」であることが分かります。
私たちは、「道端に落ちた種」の話で、サタンの目的を知ることが出来ました。サタンは、固い道端(神様のことばを自分の考えや過去の経験、今の生活習慣から受け入れない人の心)に落ちた種を取って行ってしまいます。つまり、神様のことばが人に入った途端に疑い心を与え、神様を信じないようにするのです。(例:創世記3章)サタンの目的は、神様が与えて下さった祝福の言葉に疑いを持たせ、信仰を奪い取ってしまうことです。
 さて、次は、岩地落ちた種についてです。
この種は、土が深くなかったので、すぐに芽を出しましたが、日が上ると、焼けて、根がない為に枯れてしまいました。これは、「福音を聞いた時には、喜んで受け入れるが、しばらくは信じていても、試練があるとすぐにあきらめてしまう人」(ルカ8章)のことを指します。 残念なことに、喜んで伝道をし、奉仕をしていたのに、急に教会から離れてしまう人がいます。聖書には、その原因は「根がないため」と書かれてあります。御言葉にしっかりと根ざしていないため、サタンが攻撃して来た時にすぐにつまづいてしまうのです。私たちは、与えられた信仰を「御言葉」という土台にしっかりと根ざし、真理を悟り、御霊に導かれて歩まなければなりません。そうすれば、私たちの信仰は揺るがされることはないのです。
 また、いばらのある地に落ちた種については、こう書かれてあります。「みことばを聞くが、世の心づかいと富の惑わしがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」(マタイ13章)
マタイでの「世の心づかいと富の惑わし」に加えて、マルコでは、「欲望が入り込んで」、ルカでは「快楽によって」と書かれてあります。これは、「神様以外のことに心を奪われ、神様のことを忘れて御言葉におろそかになる」という意味です。イエス様は、かつてマルタに「なくてはならないものは一つだけ」だと言われました。「ふさぐ」とは原語では「窒息、抑え込む」という意味です。いばらが伸びてしまっては、信仰がの成長が抑え込まれ、窒息状態になり、実を結ぶことが出来ません。私たちはなくなてならない「一つ」にいつも目をとめていかなくてはなりません。
 最後に良い地に蒔かれた種は、100倍、60倍、30倍の実を結びました。良い地とは「正しい良心」で、正しい心で御言葉を受け取り、それを悟ってしっかりと守り行っていく時、多くの実を結ぶことが出来ます。私たちは、御言葉によって歩くべき道を教えられ、心理を悟ることが出来るのです。今、あなたの心を点検し、多くの実を結ぶ、良い地へと変えていただきましょう。聖霊様が導いて下さいます。

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