良い地に蒔かれた種(マタイの福音書13章1~23節)

 前回まで、「種まきのたとえ」について学びました。
結論は、「御言葉は良い地に蒔かれないと実を結ばない」ということでした。良い地とは、御言葉を悟って行う人のことです。自分の経験、知識、世間の常識に従うのではなく、神様の言葉を優先するときに、神様の力が働き、あなたの人生に奇跡が起こり、多くの実を結ぶことが出来ます。(ペテロの例:「深みにこぎ出し網を下ろしなさい」)
 さて、弟子たちはイエス様に近寄って「なぜ、彼らにたとえでお話になったのですか。」と言いました。それに対しイエス様は「神の国の奥義を知らせるため。あなたがたは知ることが許されているが、彼らには許されていない。」と答えられました。
 この言葉の中には、「神様の救いの選び」「神様の絶対的主権と私たちの責任」という意味が含まれていることを知らなければなりません。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15:16)
 イエス様の言われる「神の国の奥義」とは、ユダヤ人が旧約聖書から理解する「神の国」ではなく、イエス様を救い主として受け入れたときに与えられる「一人一人の心の中に訪れる神の国」です。
 神の国は「種まきの地」のように訪れます。
①ある人は、神の国を受け入れない。(道端に落ちた種)
  ユダヤ人には奥義が隠されているが、イエス様を信じた人には開 かれている。
②神の国を受け入れるが、離れてしまう。(岩地に落ちた種)
③神様以外のものに目を向け、神の国がふさがれてしまう。(いばら に落ちた種)
④神の国を受け入れ、御言葉に従い、祝福される(良い地に落ちた種)
 ユダヤ人はまさしく①で、旧約の律法に縛られていたため、本当の救い主について悟らず、イエス様を受け入れるどころか十字架にかけてしまいました。
 私たちは「神の国」に対し、悟らないものであってはなりません。神の国はイエス様を救い主として受け入れたとき、あなたの心の中に訪れるのです。「神の国」とは神様がご支配される国のことです。
 イエス様が十字架にかかられたとき、多くの人がイエス様から離れずっと側で仕えていた弟子たちも信仰を失いかけていました。しかし、死からの復活によってご自分が神であることを証され、天に昇られた後、聖霊が下り、弟子たちは霊に燃えて大胆に福音を宣べ伝える者と変えられました。ペテロは一度イエス様を裏切りましたが、悔い改めて、御言葉に従ったとき、神様が触れて下さり、初代教会のリーダーとして用いられたのです。弟子たちの歩みは「良い地に蒔かれた種」の現れです。私たちは、どんな時でも神様の御言葉に従うなら、良い地に蒔かれた種のように、多くの祝福を受けることが出来るのです!

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