放蕩息子(ルカ15章11~24節)

 聖書は、人の心の中を語ります。ある人は、そのことばを聞いて自分のことを言い当てていると冷や汗をかき、ある人は自分を分かってくれていると慰めや平安をいただきます。
 ある人に息子が2人いました。兄息子は、非常にまじめで父親の言うことをよく聞き、親の片腕となり忠実に働いていました。しかし、弟息子は、まったく仕事に身が入らず、快楽を求め、楽をすることばかり考えていました。弟息子は、出世して金を稼ぎ、快楽を得ようとして父に言いました。「お父さん、あなたが亡くなってから分けようとしている財産を今生きている間に下さい。」
 父親は、弟息子の性格を十分理解していました。しかし、父親は息子に財産を分け与えてあげました。弟息子はすぐに家を出て行き、自分の思うようにお金が使えることを喜んで父親の目の届かない、遠いところに旅立ちました。
 さて、わたし達の思うように出来るところとは何処でしょうか。
それは、わたし達の心の中です。
 神様の「目の届かないところ」「遠いところ」は?
それも、わたし達の心の中です。
神様から離れた人間は、、悪い考え、否定的な考えを持ちやすく、人を汚します。マルコ7:20~22にはこう書かれてあります。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て人を汚すのです。」
 弟息子は、まだ救われていない罪人を現します。彼は、自分の快楽のため、財産を湯水のように使い、友達にも捨てられ、あげくの果ては豚の世話係にまで落ちぶれ、豚のえさで空腹を満たそうと思うほどの貧しさに追いやられました。彼は、世から見放され、どうすることも出来ないような惨めな生活の中で、父親のことを思い出しました。「父親の家は、しもべでさえ今の自分より豊かな生活をしているではないか。さあ、行って父に対し悔い改め、雇い人の1人にでもしてもらおう。」彼は自分の恥をさらけ出す覚悟で家に帰りました。しかし、父親は、彼がまだ家から離れ遠くにいたにもかかわらず、彼を見つけ、口づけして彼の帰りを心から喜んだのです。弟息子は、着物もボロボロで垢にまみれ、悪臭を放っていたにちがいありません。しかし、父親は彼を抱きしめ、一番良い着物を着させ、靴をはかせ、指輪をはめさせました。そして、彼のために祝宴を開いたのです。
 着物は神様の愛を、靴は奴隷ではないということ、指輪は息子としての証を現しています。この父親とは父なる神様です。
 天のお父様は、神様から離れ、好き勝手に罪の生活を送ってきた人間を、心から愛し、受け入れて下さり、イエス様を通して罪から解放して下さいます。神様は、全ての罪からわたし達をきよめて下さる方。人々が、主に立ち返る時に神様は必ず心を新しくして下さいます。

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