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	<title>イエス・キリスト宮崎福音教会</title>
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	<description>Jesus Christ Miyazaki Gospel Church</description>
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		<title>（マタイ14章22～33節）</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Mar 2010 03:29:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[ 「イエス様」が「全能の神」であることは、啓示によらなければ分からないことです。聖霊様が私たちの心に働いたときに、真理を知り、信仰が与えられ、それによって神様に近づくことが出来ます。
　イエス様は、５つのパンと２ひきの魚の奇跡をなさった後、弟子達を強いて舟に乗り込ませ、ご自分より先に向こう岸へ行かせました。
イエス様のなさった奇跡があまりにも素晴らしかったので、弟子達を群衆の人間的な期待（この国を再建してくれるのではないかという間違った期待）や先入観から守る必要がありました。そして祈るためにひとりで山に戻られたのです。
　弟子達の乗った舟は、向かい風により波に悩まされていました。すると、夜中の三時頃、イエス様が湖の上を歩いて彼らのところに来られたのです。はじめ、弟子達はイエス様だと気づかずに、「あれは幽霊だ！」と言っておびえてしまい、おそろしさのあまり、叫び声をあげました。イエス様はすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。
　この時の、嵐の中で思うように進まない舟は、私たちの人生に例えることが出来ます。多くの人が、どうすることも出来ない問題の中で、悩み苦しんでいます。しかし、その時に、イエス様がそこにおられ、「恐れるな。」と語って下さっていることに気づく人は幸いです。
ペテロは、イエス様だと分かった時、「もし、あなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい。」と言いました。これは、「イエス様のもとに行きたい、共にいたい」というペテロの飢え乾きの表れでした。イエス様が「来なさい」と言われれたので、ペテロは水の上を歩き始めました。しかし、風を見た彼は、恐れて沈みそうになり、イエス様に助けを求めました。そこで、イエス様は「何故疑うのか。」と、すぐに彼の手をつかみ舟に乗りうつりました。すると、風がやんだので、舟の中のものはイエス様を礼拝し、「確かにあなたは神の子です。」と言いました。
　イエス様だけを見上げ、そのお言葉に従うとき、どのような状況の中であっても信仰を持って進むことが出来ます。しかし、風（現実）を見ると人は恐れてしまい、失望の波にのまれてしまうのです。
　イエス様は「何故疑うのか。」と言われました。
現実の壁にぶつかった時、私たちは「助けて下さい！」と叫び求める必要があります。そうすれば、イエスは力強い御手で、その失望の波から引き上げて下さるのです。そして、風がやんだように、すべての解決を与えて下さいます。 [...]]]></description>
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		<title>確信（ヨハネ3章1～15節）</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Mar 2010 03:25:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[ 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人は、新しく生まれなければ神の国を見ることは出来ません。」
　このことばは、パリサイ人でユダヤ教の指導者であったニコデモに、イエス様が言われた「心の闇」に対する解決のことばです。
　彼は、イエス様の語ることばを聞き、またイエス様の行われる業を目の当たりにしたとき、「これは人から出たことばや業ではない」と悟ることが出来ました。そしてその夜、イエス様のもとに来てこう言いました。「先生。私たちはあなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことが出来ません。」
　彼が「夜」イエス様のもとに来たことが、「人目をさけなければならない立場であった」ということ、また「ニコデモ自身に＜心の闇＞があった」ことの表れであることが分かります。
　彼の心の中には、自分自身ではどうしても解決出来ない問題がありました。それが彼の心の闇となっていたのです。彼の闇は、「罪」であり、儀式や奉納物や律法からは罪からの救いを得ることが出来ないと考えていました。彼がイエス様に出会った時、この問題の解決はイエス様にあると確信しました。
　イエス様は、彼に「新しく生まれなければ神の国を見ることは出来ない」と言われました。ニコデモは、はじめはそのことばを理解することが出来ませんでした。しかし、更にイエス様は言われました。「人は水（御言葉）と御霊によって生まれなければ神の国に入ることは出来ない」と。「あなたがたが新しく生まれたのは～生ける、いつまでも変わることのない神のことばによるのです」（ペテロⅠ１：２３）
  [...]]]></description>
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		<title>高岡温泉「やすらぎの郷」でのゴスペルフラ</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 11:54:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<title>24時間連鎖祈祷会のお知らせ</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 11:51:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<title>クリスチャンのセルフイメージ</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Feb 2010 10:05:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[　セルフイメージとは、「自分自身が自分をどの様に評価しているか」ということです。どの様なセルフイメージを抱いているかと言うことは大変重要な事です。なぜならば、人は自分が持っているセルフイメージ以上のことは出来ない（しょうとしない）からです。ですからその人のセルフイメージが能力の限界となるのです。
　私たちは、自分の知識や経験から自己評価をして「自分はこのような者だ。」とか、あるいは人の評価によって「私は、このような者です。」とセルフイメージを抱いているのではないでしょうか。あるいは、また、自己啓発によって潜在能力を引き出してセルフイメージを高める方法があるでしょう。しかし、クリスチャンとしてはそれは、正しい方法ではありません。
　それでは、どの様にしてセルフイメージを高めていけばいのでしょうか。
１，みことばによる。
【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」（創 17:1 ）
　みことばに，全き信頼を持ちましょう。
２，信仰による。
「まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」（ヨハ 14:12 ）
主が命じられることは、「出来る」と告白しましょう。私を強くして下さる方によって（ピリピ４：１３）
３，聖霊の満たしによって。
  「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方は、真理の御霊です。（ヨハネ [...]]]></description>
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		<title>勇士よ。主があなたとともにおられる（士師記6章11～16節）</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 03:38:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<title>人間のすべて</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 07:11:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」（伝道者の書１２：１３，１４）
　「生きたい」「知りたい」「仲間を作りたい」。これが人間の脳神経の持つ本能だそうです。人間は、「何でもやってみたい」という思いを強く持つ生き物です。しかし、その探求心の先にある結果では満足出来ないのもまた人間です。
　すべての栄華を極めたと言われるソロモンは、人間の本能に任せ、目の欲するものは何でも拒まず、心の赴くままにあらゆる楽しみをしました。しかし、彼の心を満足させるものは何もなかったのです。
彼は、真理を悟り、こう言いました。「すべてがむなしい。結局は神を恐れ、神の命令を守ることこそ、人間のすべてなのだ。」
　今の時代、人間は自分たちで善悪を判断し、滅びの道を歩いています。しかし、必ず神様が隠れたすべてのことを裁かれる時が必ずきます。人の目には分からないものも顕わにされ、人間は神様の御前で申し開きをしなければならないのです。その為に、私たちは準備しなければならないのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からのいのちに移っているのです。」（ヨハネ５：２４）
　イエス様は永遠のいのちのことばを持っておられるお方です。（ヨハネ６：６８）ですから、イエス様を信じ、そのことばに従うなら、私たちの霊は、死からいのちに移っているのです。唯一のまことの神様である方、すなわち天から来られたイエス・キリストを知り、信じていることは、永遠のいのちを持っているという「証」です。（ヨハネ１７：３）
　これが、神様によって創造された人間にとってすべてであり、神様を賛美し栄光を現すことが、人間の本分なのです。神様の御心を歩む時、私たちは祝福の道を前進することが出来るのです。            [...]]]></description>
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		<title>チャンス（ヨハネ5章1～9節）</title>
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		<pubDate>Sun, 31 Jan 2010 03:16:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[　エルサレムの羊の門の近くに、「ベテスダ」（主は恵み、の意）と呼ばれる池があり、５つの回廊がついていました。そこには、多くの病人、目の見えない人、足の不自由な人、やせ衰えた人が集まっていました。何故かというと、主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのですが、水が動かされた後で最初に入った者は、どのような病気であろうが癒されたからです。
　ここに３８年もの間、病気にかかっている人がいました。彼は３８年間、チャンスを自分の物にすることが出来ず失望の中にいました。
彼の人生は、自分より大病の人を見ては、自分の慰めとし、時には優越感に浸り、また池に飛び込んで癒された人を見ては羨むという大変むなしいものでした。そして、あげくの果てには、自分にチャンスがないのを人のせいにし始めたのです。
　彼は言いました。「私には、水がかき回された時、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」と。
　彼は、「これが自分の人生。仕方のないこと。」と、半分あきらめかけていたのです。
　しかし、彼が池のそばに居続けた（信仰を持ち続けた）ことは幸いです。イエス様が彼に目を留められ、声をかけて下さいました。イエス様は、「よくなりたいか。」と尋ね、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と癒しの宣言をして下さいました。彼が、イエス様のことばに従った時、彼の病気はすぐに直り、自分の手で床を上げ、自分の足で歩くことが出来たのです。神様の手によって彼の人生が新しく開かれたのです。
　御言葉に従うことは大切なことです。私たちは、自分の頭で状況を判断し、「もうこれ以上無理だ、もう仕方のないことなのだ」とあきらめてしまうことが多々あります。しかし、イエス様の声に従う時、神様が最善へと導き、新しい領域へ入れて下さるのです。
  [...]]]></description>
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		<title>わたしは世の光です。</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 03:28:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[[...]]]></description>
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		<title>神の怒りと神の愛</title>
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		<pubDate>Sun, 17 Jan 2010 03:14:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kyouhei</dc:creator>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[[...]]]></description>
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