完了した

「~イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして頭をたれて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ19章23節)

 この箇所は、イエス様が十字架にかかって死なれた場面が記されています。
 兵士たちは、イエス様に茨の冠をかぶらせ十字架につけると、イエス様の着物をとり、それを兵士に渡るよう四分しました。そして下着も取りましたが、それは縫い目なしのものであったので、裂くことをしないでくじで分けることにしました。それは「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためでした。
 イエス様が来られること、また十字架にかかられることは、あらかじめ聖書に預言されていたことでした。新約を見る時に、旧約の預言のことばの成就を見ることが出来るのです。
 聖書の預言の通りにイエス様が十字架にかかられ、息を引き取られた時、「完了した。」と言われました。そのことばは、口語訳では「全ては終わった。」と訳してあります。一般の人が「終わった」と聞くと、十字架の死において神様の計画が失敗した、いう印象を受けますが、そうではありません。このことばの本当の意味は、「神様の救いのご計画が完成した」という意味なのです。
 私たちは、罪のために滅びるべき存在でした。私たちがどんなに善を行ったとしても、その滅びの道を避けることは出来ませんでした。しかし、この罪を取りのぞき、天国へ導いて下さる方を神様はこの地上に送って下さいました。それが、御子イエス・キリストです。
 イエス様は、私たちのすべての罪を背負われ、十字架で罪の罰を受けて下さいました。この十字架の贖いによって、私たちは罪から解放され、天国へ行けるものとされたのです。これが「救いの完成」です。 かつては、ひとりの人(アダム)によって罪が入りました。しかし、第2のアダム(イエス様)の死によって、すべての人が義となる道が与えられたのです。初めの人アダムは罪を犯しました。しかし第2のアダムであるイエス様は罪のない方でした。ただ、父なる神様のご計画を成し遂げるために、自らその身を捧げて下さったのです。
 イエス様は救いの手順をすべてつけられました。ですから、私たちがするべきことは、イエス様を救い主として受け入れ、王の王として賛美し、従って行くことです。
 イエス様は、ピラトに対し「ユダヤの王である」と宣言されました。
イエス様は、十字架からご自分を救うことも出来ました。しかし、イエス様は、私たちを愛し、私たちを滅ぼすことを望まなかったので、自ら十字架にかかられました。そして、永遠の御国で私たちの王となって下さったのです。イエス様は、十字架の死を打ち破り、勝利の主として復活されました。私たちは、救いを完成された主を心から礼拝し、御言葉に従って行き、祝福を勝ち取るものとなりましょう!!

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