メシアであるイエス様

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39,40)
 ここに、「聖書」と書かれていますが、この当時の聖書は「旧約聖書」のことを指します。
イエス様は、ご自分のことを救い主と受け入れずに、殺そうとしているユダヤ人に対し、「あなた方がよく知り、研究している聖書に書かれている『メシヤ』は、わたしのことである」と言われました。
 イエス様は、律法学者パリサイ人の偽善を忌み嫌われました。
彼等は、律法をよく知り、研究し、それを守っていました。ですから彼等は、自分たちこそ「義人」であり、神様に一番近い存在だと自負していました。しかし、その行いは彼等を傲慢にし、人々を見下すようになったのです。これは、神様の御心ではありませんでした。
 「律法」は、私たちがどれくらい罪深い者であるかを示すものとして神様が私たちに与えて下さったものです。律法を完全に守ることの出来ない自分を反省し、罪を悔い改めて神様に立ち返る時に、律法の意義を見い出すのです。
 旧約の時代。人々は罪を犯すと、罪のための生け贄を捧げていました。しかしそれは一時的なこと。また人々は罪を犯してしまうのです。
 そして新約の時代。そのような問題を解決して下さる方が現れたのです。それが、イエス・キリストです。イエス様は、神様が人となってこの世に来られた方です。人間がどうすることも出来ない罪を
解決するために、また、私たちの罪の罰を変わりに受けて下さり、私たちに永遠の赦しと永遠のいのちを与えるために来て下さいました。
 私たちが、イエス様が「メシヤ」だと知って、旧約聖書を見ると、まさにイエス様ご自身について預言されていることが分かるのです。あたかも、イエス様の人生をすでに見たかのように書かれてあるのを見るとき、全知全能なる神様を誉めたたえずにはおられません。
イエス様は、律法学者パリサイ人に対し「わたしを見たのは父を見たのです。わたしと父は一つです。」と言いました。しかし、彼等は、それを「神と自分を等しくしている」として神への冒涜と受け取り益々イエス様を拒みました。彼等は、最後までイエス様を受け入れず、その魂は滅びへと向かいました。
 「エマオの途上」(ルカ24章)の話は有名です。イエス様が十字架に架かられたことによって失意の中にいる2人の弟子に対し、「ああ、愚かな人たち。預言者の言ったことをすべて信じない、心の鈍い人たち。キリストは必ずそのような苦しみを受けて、それから彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」と言われ、モーセおよびすべての預言書から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書かれている事柄を彼等に説き明かされました。彼等は、そのとき、イエス様がよみがえられたことを知ったのです。
旧約は、メシアであることキリストのことが書かれてあり、新約は、そのメシアこそイエス様であることが書かれてあります。私たちは、聖書全体を信じ、益々イエス様を神様として賛美しましょう。

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