感謝のいけにえ (詩篇50:23)

 今の時代、信じられないような犯罪がはびこり、ニュースを見るたびに心が暗い気持ちになってしまいます。また人のことばかりではなく、自分の問題に行き詰まり、「死んでしまいたい。もう立ち上がれない。」と思ってしまう人も少なくありません。そんな時、どのようにして立ち上がるのか・・・?
その答えは聖書にあります。詩篇50:23にはこう書かれてあります。「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」
 「感謝のいけにえ」とは、まず①「物質の犠牲」(時間、仕事、お金、趣味・・・etc)です。私たちが痛みを伴う捧げものをする時、神様との出会いの体験を持つことが出来るのです。神様を第一にすること、また献金を捧げることなど、これらは時に「痛み」を伴います。
ある人は、それを「失うこと」と思う人もいるかもしれません。しかし、それは大きな間違いです。「失うこと」ではなく「得るため」に私たちは犠牲の伴った捧げものをするのです。誰でも、感謝をしつつ自分にとって大切なものを神様に捧げる時、神様はその捧げものに目を留め、格別に祝福して下さるのです。そして、その人の神様は出会って下さり、全能なる神様がいつも共にいて下さるという信仰が「確信」となるのです。
 また、「感謝のいけにえ」は「神様を賛美すること」であり、それは②「自分の意思、感情の犠牲」です。
「今日はとてもじゃないけど、神様に感謝を捧げることが出来ない、落ち込んで賛美する力がない。」という時にも、「でも、神様あなたを賛美します!」と、その感情や自分の思いを断ち切って、神様を賛美し礼拝するのです。その人に神様はご自身を啓示されるのです。これが「感謝のいけにえ」です。本物の感謝のいけにえを捧げる時、神様はその人の心の内に聖霊による喜びを与え、信仰を与えて下さいます。
 イスラエルの民は荒野で40年旅をしました。その数は約300万。彼らは食料や水がなくなると、そのたびにつぶやきました。神様は40年の間でその世代を滅ぼし、新しい世代になった時、約束の地カナンに導かれたのです。モーセもその地に足を踏み入れることは出来ませんでした。「カナンをあなたに与える」とのお言葉を神様から与えられていたにも関わらず、彼らはカナンの巨人、武器、鉄の戦車を恐れ、神様ではなく、偵察隊の意見を聞き、カナンを攻めることはしませんでした。それで彼らは40年荒野をさまようことになりました。 神様は「不信仰」「つぶやき」「不平」を喜ばれません。神様は喜ばれるのは「感謝のいけにえ」です。ですから、私たちはいつも感謝のいけにえを捧げましょう!常に感謝をする人が神様を本当にあがめる人です。神様はその人に出会い、救い、祝福を与えて下さるのです!

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