主が与える祝福(永井明牧会長)

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21)

 ある画廊に足を運んだ時、一枚の絵に2100万円の値段が付けられているのを目にしました。とても価値のある物です。このような高価で価値のあるものはこの世には沢山あります。しかし、私たちの父なる神様は、この世のどんな財宝よりも、私たちの方が価値があると言って下さいます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
 私たちは、この世の定めた視点ではなく、聖書のことばから神様が私たちに対してどういう想いを抱いて下さっているのかという、「信仰の視点」を訓練化し、習慣化していかなければなりません。
 ヨブ記では、一人の人物に焦点を当てて、神様との関係を私たちに教えてくれています。「主は与え、主は取られる」
 ヨブは潔白で正しく、神様を恐れ、悪から遠ざかっていた人でした。(ヨブ記1:1)彼には7人の息子と3人の娘がいて、多くの財産があり、とても恵まれた生活をしていました。しかし、ヨブの信仰が試される時が来、彼の子ども達も財産もすべてを失うことになります。 東北大震災では、多くの人々の命、また多くの財産が波に奪われてしまいました。今でも被災した人々には、物質的な救済が続けられていますが、この出来事は「どれだけ財産があっても、災害によってすべてが失われてしまう」という現実を目の当たりにするものとなりました。
 私たちは「ない」という現実を見て、あきらめてしまいます。しかし神様は、創世記26章にあるイサクを通して示された100倍の祝福を私たちに与えようとしておられます。何故なら、神様は無尽蔵の富を持たれる方であるからです。
 イサクは短期の滞在予定でしたが、「今出来ることは何なのか」と考え、神様に示されて地に種を蒔きました。そして、半年後の収穫時には100倍の収穫を得たのです。一粒の麦が100倍になったのではありません。一回の収穫で100年分の収穫を得たというのです。
 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福して下さったのである。こうしてこの人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。」(創世記26:12、13)
 現在、この地球上の2000カ所以上(ガテマラ、フィジー島etc)でトランスフォーメーションという現象が起こっています。自然、教育、政治、経済を通して神様がかつてなかった驚くべき祝福を注いでおられるのです。ガテマラのある町では、92%がクリスチャンになりました。そのような所は、教会が盛んになるだけではなく、生活のなかでの祝福(豊作、豊漁)も見ることが出来るのです。
 この教会も、間違いなく神様は祝福を与えて下さいます。
今、新会堂献金がなされてますが、私たちが信仰を持ち、感謝しながら捧げるならば、神様は必ず教会を祝福し、家庭を祝福して下さいます。「今出来ること」が何なのかを神様の目に問い、イサクのように従うなら、私たちは100倍の祝福を見ることが出来るのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。