教会(エペソ1章21~23節)

 「教会」とは、ギリシャ語では「エクレシア」といい、その意味は「召された者の集まり」です。そしてそれは、全能の神様によって召された者という特別な集まりなのです。
 エペソ人への手紙は、聖書の中でも「獄中書簡」と呼ばれるものです。かつてクリスチャンは、ローマ皇帝ネロによって大迫害を受けます。その時に、その迫害の中でローマに捕らわれていたパウロがエペソの教会に手紙を送り励ましたのです。
 エペソは現在のトルコにあたる地域で、商業が発達し、非常に栄えた場所でした。そこでアポロが伝道し、パウロが聖霊の力を注ぎ、その働きにより教会が誕生しました。
 パウロは、この手紙を書く上で、まず主に賛美のことばを並べています。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して下さいました。」(1:3)
 パウロは、囚われの身でした。しかし、肉なるものは捕らわれていても、その思い、霊なるものは全く捕らわれていなかったのです。
 獄中でも神様との霊的な交わりをし、その霊は祝福に満ち、輝いていました。霊の解放の中で、彼は言います。「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」(第一テサロニケ5:16~18)と。それは、状況に左右されないものです。
 パウロは、教会についてこう言っています。
「教会のかしらとして、イエス・キリストが与えられました。教会にはいっさいのものを満たして下さる方が満ちておられる。」(1:22)
 イエス様によって、私たちは罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、神の子どもとしての特権が与えられました。イエス様によって、私たちは「アバ父よ!お父さん!」と呼べるようになったのです。
この素晴らしいイエス様が教会のかしらなので、イエス様と私たちは切っても切り離せない強いつながりを持っているのです。
 母親は、泣き声だけで子どもの必要を判断し、答えようとします。
私たちの天のお父様は、地上の母親以上に、子どもである私たちの必要をすべてご存じで、それを満たそうとして下さいます。
 ですから、聖書にあるように、私たちがイエス様の名によって求めるならば、神様は一番良いもの与えて下さるのです。
 私たちは、常に「御言葉」によって生きます。御言葉に従って生きる人々の集まりが教会です。「従う」為には、自分に死ぬ必要があります。つまり教会は、自分に死んで、キリストによって復活した者の
集まりとも言えるでしょう。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)
 教会のかしらはイエス様です。それを忘れず、いつも聖霊の一致によって御言葉に従い、前進しましょう。神様はあなたを用いられます。

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