聖書のことば

 聖書のことばによって、私たちは力づけられ、また将来の約束を見、まだ見てはいないけれども、見えないものを信じる「信仰」が与えられます。そして、私たちは御言葉によって「永遠のいのち」を見いだすことが出来るようになるのです。
 旧約聖書には、「メシヤがこの地に来られる」という預言が書かれてあります。そして、新約聖書を見るときに「イエス・キリストこそが聖書が預言していたメシヤなのだ!」ということが分かります。
 聖書のことばは、聖霊の力によって解き明かされます。イエス・キリストと救い主として受け入れ、聖霊を受ける時、聖書のことばが「神様のことば」であるということを悟ることが出来るのです。
 聖書はこう言います。「義人は一人もいない」と。
 この世の人間関係の中には、どうしても「憎しみ、ねたみ、怒り」が入ってきてしまいます。「仲良くしたいのにどうして?」と思う方もおられるでしょう。
 その原因は、私たちの内にある「罪の性質」にあります。
この世のすべての人は神様から見ると「罪人」であり、不従順の子らの中に働いている霊に縛られている者です。
「あなたがたは、自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉の心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながらにして、御怒りを受けるべき子らでした。」(エペソ1:1~3)
 しかし、私たちが自分の「罪」(神様に不従順であること)を悔い改め、イエス・キリストを救い主として受け入れるなら、神様は私たちの罪と咎をことごとく消し去って下さり、「義人」と見て下さるのです。  
「~あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かして下さいました。それは、わたしたちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。~」(コロサイ2:12~15)
 十字架に、私たちの罪は釘付けにされました。ですから、私たちは罪から解放された者なのです。しかし、信仰を持つと、サタンは、私たちを誘惑し始めるでしょう。「あなたは罪人だ、あなたは解放されていない、あなたには価値がない、この世の方が楽しい、あなたは満足しているのか?」と。神様から私たちを離そうと必死に働きます。
しかし、もし私たちが信仰によって立ち向かうなら、サタンには何の力もないのです。何故なら、イエス様は2000年前の十字架と復活によってサタンの頭を砕かれたからです。神様の裁きが来るとき、サタンは必ず滅びます。ですから、サタンの声に耳を傾けてはなりません。私たちは「いのち」である神様のことばを信じ、従いましょう。

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