信仰のとおりに(詩篇46)

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。~万軍の主がわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。」

 これは、陸前高田市の教会に貼ってあった御言葉です。
昨年、教会に与えられた御言葉として、この御言葉を牧師夫妻と教会員は共に暗唱し、告白していました。
 そして3月11日、東日本大地震が起こったのです。津波は教会の50センチ手前まで来ましたが、教会は奇蹟的に守られました。
その教会は、今も被災地で献身的に働く教会として用いられています。 陸前高田の教会に、神様はあらかじめ詩篇46篇を与え、導いて下さっていたのでしょう。この御言葉が今彼等の力となっているのです。
 御言葉は、私たちを失意のどん底から引き上げ、希望を与え慰め、励まし、力を与えてくれます。
 パウロは、自分の弱さの故に悩んだ時期がありました。しかし、神様は「わたしの力は、あなたの弱さの中に現れるのだ。」と語られました。そして、人に力があるのではなく、御言葉に力があるということを教えられました。
 マルコ11節には、イエス様はいちじくの木をのろわれる場面が出てきます。空腹を覚えられたイエス様がいちじくの木に近づくと、その木には葉だけで実がなっていませんでした。いちじくの実がなる季節ではなかったからです。しかしイエス様は「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」と言われました。そして次の日、そのいちじくの木は根まで枯れていたのです。
 その一部始終を見て驚く弟子達に対し、イエス様は「神を信じなさい。まことにあなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だから、あなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」と言われました。
 いちじくの木は「季節ではないから」実が成っていませんでした。それは当たり前のことだったのです。しかし、イエス様は、あえて根まで枯らすことによって、イエス様の語られる「ことばの力」を見せて下さったのです。イエス様のされることには、人間が考えるような「理屈」はありません。イエス様が言われるならば、状況がどうであれ、季節がどうであれ、その通りになります。ですから、もし私たちが信じて御言葉を用いるなら、その通りになるのです。
「信じる」ことはとても大事なことです。それは「理解」「納得」とは違います。信じるとは、「御言葉をそのまま受け入れること」です。
 10人のらい病人がイエス様のもとに来ました。イエス様は「祭司の所に見せに行きなさい。」と言いました。彼等の病はまだ癒されてはいませんでしたが、イエス様のことばに従いました。すると祭司に見せる時には、完全に癒されていました。これが「信じる」ことです。あなたが御言葉を信じるなら、その通りのことが起こるのです。

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