こういうわけで

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。~このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:19~22)
 「こういうわけで」の内容は11節から見れば分かります。パウロは、「以前のあなたがたは、異邦人で、神から離れ、(契約の民であるイスラエルの民に反して)神様の約束を知らない者、神の国を知らない者、無割礼の者であった。しかし、キリストの血によって、律法という隔ての壁が破られ、一つとなることが出来た」と語りました。
それは、「イエス様の十字架によってすべての罪が赦された」ことを語っています。
「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストと共に生かして下さいました。それは私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘付けにされました。」(コロサイ2:13~14)
 イエス様は、私たちが過去に犯してしまった罪をことごとく赦して下さり、神様に背く「敵意」は十字架によって葬りさられました。
イエス様は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来て下った方です。
 それゆえ、私たちはユダヤ人と同じく選ばれた者に加えられ、神の子とされ、「1つのからだ」の一部として仕えることを赦されたのです。「1つのからだ」とは、キリストを頭とする「教会」です。
 ですからパウロは、「こういうわけで」と語るのです。私たち異邦人はキリストの血潮により「今は聖徒たちと同じ国民でり、神の家族」になることが出来たのです。
 「教会」はイエス様を頭とする「神の家族」です。ここに「安らぎ」があります。教会は赦し合う所であり、そこに世の中と同じような「裁き」があってはなりません。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:12)
 教会は「イエス様の愛、赦し、力」がその土台となっています。
その上に私たちが組み合わされる時、私たちは主にあって聖なる宮となり、御霊によって「神の御住まい」となることが出来るのです。
 Ⅱ歴代誌6:18で、神の為に神殿を建てたソロモンは「実に天の天も、あなたをお入れすることは出来ません。」と言い、神様の偉大さを語りました。しかし「教会」は、天の天も受け入れることの出来ない偉大な神様が「御住まい」として選んで下さった特別な場所です。 「こういうわけで」私たちは、選ばれた神の子として、聖霊によって神の愛を伝え、世の光となりましょう。「この希望は失望に終わることがありません。何故なら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。