詩篇23

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。~」
 この詩は、イスラエルという大帝国を築いたダビデ王が書いた詩です。
 ダビデは神様を恐れ、神様の御言葉に従いました。時に罪を犯してしまう弱さの中にあっても、決して神様を忘れることなく、罪を指摘されれば悔い改め、赦しをこいました。
 ダビデ王の人生を振り返ると、決して順風満帆とは言えないものでした。
 かつて彼がサウル王の家来であった時、ダビデに与えられた才能と賜物故、サウル王に命を狙われるほどねたまれる時期がありました。
 しかし、自分の命を狙われるような時でも、彼はサウル王を「神様が油注がれた王」として敬い、愛し、命を奪うチャンスがあっても決して手を下すことはしませんでした。
 神様を恐れる信仰生活は、神様によって祝福され、彼はやがてイスラエルを治める王として選ばれることになります。
 神様のご計画は、ダビデが少年であった時から始まっていました。
預言者サムエルは、神様に導かれ、新しく選ばれた王に油を注ぐ為、エッサイという人物の家に出向きました。エッサイは、サムエルのもとに7人の息子を長男から順に次々と連れて来ました。しかし、7人とも主の御心にかなう者ではありませんでした。主は「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と言われ、その場に居合わせなかった8人目のダビデを選ばれました。ダビデは一人、羊の番をしていました。彼はどんな凶暴な獣からも羊を守りました。彼は「主が共にいて下さる!」という信仰の故に、恐れるものは何もありませんでした。主は、彼のそのような信仰生活に目を留めておられ、主の働きのために、彼をお呼びになりました。
 聖書には、「羊飼い」をイエス様に、「羊」を私たちに例えて書いてある箇所があります。
「私たちは主の者、主の民、その牧場の羊である」(詩篇100) 
 羊は、一匹で生きて行くことは出来ません。方向音痴で迷いやすく、弱い生き物なので、すぐに外敵に襲われてしまいます。ですから羊飼いがいなければ生活することが出来ないのです。
 私たちも羊飼いなるイエス様がいなければ罪という外敵にやられてしまいます。私たちがイエス様に信頼して従って行くなら、決して迷うことなく、飢えることなく豊かな牧場に導かれ、牧草を得ることが出来ます。私たちの牧草は聖書の御言葉です。
 また羊飼いなるイエス様は、私たちが間違った道に行かないようにムチ(試練)を加えられることがあります。しかし、それは愛から出ていることを知りたいのです。(ヘブル12:4~11)羊飼いなるイエス様は私たちを愛しています。信頼し、従って参りましょう。

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