信仰を働かせる

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いて下さる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
 私たちは、聖書のことばを「神のことば」として信じています。
これは「普通」のことではなく、「奇蹟」だと言えるでしょう。
何故なら、私たちが自分で悟ったから信じたのではなく、父なる神様が私たちの心に働きかけ、聖霊によって悟ることが出来たからです。 聖書は「信仰がなくては神様を喜ばせることは出来ない」と書いています。
どんなに事業に成功しても、どんなに恵まれた生活を送っていても、そこに「信仰」がなければ、神様はあなたを喜ぶことが出来ないというのです。
 では、信仰はどこから与えられるのでしょうか?
ローマ10:17には「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と書かれています。
 つまり、キリストについてのみことば、すなわち「聖書」によって私たちは信仰を持つことが出来るのです。
 イエス様は、イエス様に近づく群衆を見て「羊飼いのいない羊のようだ。」と言われ、迷える羊のために御国の福音を持って彼等の魂を導かれました。100匹の羊のうち、一匹でも迷うものなら、イエス様はいのちがけで捜しだし、守って下さるお方です。
 人間は、皆「失われた存在」です。どこに行くかも分からず、助けて欲しい時も、誰に助けを求めれば良いか分からないような状態なのです。普段明るい人であっても、一人になった時に孤独感に陥り、むなしく感じる人生を送っています。
 しかし、神であるイエス様は「失われている存在」を助け出し、導いて、神様に対する信仰を与えるために来られました。迷っている羊を、また群れに戻し、平安を与えるために来られたのです。
 群れ(教会)の中にいるなら、「孤独感、不安、恐れ」から解放され、平安で満たされます。また、そこには神様のご臨在があり、豊かに祝福され、信仰を新しくすることが出来ます。
 私たちは神様の守りと愛の御手の中にあって「信仰」を持つことが出来るので感謝です。
「わたしに聞け、~胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。~あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救いだそう。」(イザヤ46:3,4)「~見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともいます。」(マタイ28:16~20)
 信仰とは、「望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」(ヘブル11:1)です。
 ノアは見ていないのに、信仰によって箱舟を造り、その姿勢が神様によって「義」と見なされました。その結果、大洪水が起こり、神様のことばを信じたノアの家族だけが救われました。
 「信仰」は、必ず奇蹟を起こします。私たちは、聖書のことばにより信仰を十分に働かせ、大胆に福音を宣べ伝え、奇蹟を行う者です!

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